マイヤーベーア
Giacomo Meyerbeer
生没年:1791-1864
ドイツの作曲家。パリを中心にフランス・グランド・オペラの作曲家として活躍。ベルリンで育ち,初めピアニストとして注目された。1816年イタリアに赴き,ベネチアなどでオペラを発表,成功をおさめた。31年最初のフランス・オペラ《悪魔のロベールRobert le diable》をパリのオペラ座で発表し,大成功をおさめる。その後に書かれた代表作にはグランド・オペラ《ユグノー教徒Les Huguenots》(1836初演),《予言者Le Prophète》(1849初演),《アフリカの女L'Africaine》(1865初演)などがある。彼のグランド・オペラは,ドイツ,イタリア,フランスのオペラ・スタイルを折衷し,その華麗な舞台効果によって,当時広く一般聴衆に歓迎された。スクリーブEugène Scribe(1791-1861)の台本も大衆受けするものであった。42年プロイセン宮廷音楽総監督に任命され,ベルリンでも活躍した。
執筆者:寺田 兼文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「マイヤーベーア」の意味・わかりやすい解説
マイヤーベーア
ドイツの作曲家。パリを中心に,全盛期のフランス・グランド・オペラの第一人者として絶大な人気を博した。ベルリンで育ち,イタリアでオペラ作曲家として修業を積んだのち1820年代半ばにパリに進出。最初のフランス・オペラ《悪魔のロベール》(1831年初演)がオペラ座で大成功をおさめ,以後《ユグノー教徒》(1836年初演),《予言者》(1849年初演),《アフリカの女》(死後1865年初演)などを発表。華麗な舞台効果で一世を風靡(ふうび)した。→ビオラ・ダモーレ
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内のマイヤーベーアの言及
【フランス音楽】より
…そして19世紀になっても大勢は依然オペラが第一であった。しかも,D.F.A.オーベールの《ポルティチの啞娘》,J.F.アレビーの《ユダヤの女》あたりを例外として,もっぱら外来者ケルビーニ,ロッシーニ,とりわけドイツ系ユダヤ人の折衷主義者マイヤーベーアの《鬼のロベール》以降の諸作が,オペラ・ロマンティックすなわちグラントペラgrand opéra(グランド・オペラ)に君臨していた。かたわら1780年代以降の〈ロマンス〉流行を反映してか,多くのフランス人作曲家(ボイエルデュー,オーベール,F.エロール)は,オペラ・コミックの作曲に励む。…
※「マイヤーベーア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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