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マゼーパ Mazepa, Ivan Stepanovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マゼーパ
Mazepa, Ivan Stepanovich

[生]1644. ベーラヤツェルコフ近郊
[没]1709.9.8. ベンデリ
ウクライナ東部 (ドニエプル川左岸) コサックのヘトマン (首領) 。ウクライナの貴族の家に生れ,ポーランド王の宮廷で小姓として仕えたあと,1669年ウクライナ西部 (ドニエプル川右岸) コサックのヘトマン,ピョートル・ドロシェンコに仕えた。ドロシェンコがポーランドおよびロシアの圧力に対抗するために,トルコと結ぶと,マゼーパは 74年親ロシア的なウクライナ東部コサックのヘトマン,イワン・サモイロビッチのもとに走り,87年にはみずから同コサックのヘトマンとなった。ロシアの V.V.ゴリツィン公のクリミア遠征 (1689) に加わるなど,当初親ロシア的な立場をとったが,ピョートル1世 (大帝) のウクライナ・コサック抑圧策に反発,ポーランドに接近し,次いで北方戦争 (1700~21) が勃発するや,スウェーデン王カルル 12世と密約を結んで,ウクライナの独立をはかった。 1708年コサック兵 5000を率いて,カルル 12世の軍に加わったが,翌年ポルタバの戦いに惨敗。カルルとともにトルコ領モルドバのベンデリ要塞に逃れ,そこで死没。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マゼーパ
まぜーぱ
Иван Степанович Мазепа Ivan Stepanovich Mazepa
(1644―1709)

ロシア・ウクライナのゲットマン(首領)(1687~1708)。ウクライナの小貴族の家に生まれる。ポーランド宮廷で教育された。左岸ウクライナ・コサックのゲットマンに選ばれ、ウクライナ最大の土地所有者の1人となる。ピョートル1世の外征に参加して信用を得たが、のちウクライナの独立を図るようになった。初めポーランド王と、ついでスウェーデン王カール12世と交渉し、大北方戦争でスウェーデン軍がロシアに侵入すると、公然とスウェーデン側につき(1708)、翌年ポルタバの会戦でピョートル軍に敗れると、カール12世とともにトルコ領に逃れ、同地で死去した。[伊藤幸男]

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