ポルタバの戦い(読み)ぽるたばのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポルタバの戦い」の意味・わかりやすい解説

ポルタバの戦い
ぽるたばのたたかい

大北方戦争(1700~21)中の1709年、ロシア軍とスウェーデン軍との間に行われた戦い。同年7月8日、ピョートル1世に率いられた約4万2000のロシア軍が、ウクライナポルタバPoltavaにおいて、カール12世指揮下の約3万のスウェーデン軍と戦い、これに決定的打撃を与えた。スウェーデン軍は、メンシコフАлександр Данилович Меншиков/Aleksandr Danilovich Menshikov(1673―1729)将軍軍門に降(くだ)り、負傷したカール12世はわずかの兵に守られてトルコに逃れた。ロシアは、この勝利によって大北方戦争を有利にし、スウェーデンをくじいてヨーロッパへ進出する機会を得た。

[外川継男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポルタバの戦い」の意味・わかりやすい解説

ポルタバの戦い
ポルタバのたたかい
Battle of Poltava

1709年7月8日,北方戦争に転換をもたらしたロシア,スウェーデン間の戦闘。対スウェーデン同盟 (デンマーク,ザクセン,ポーランド,ロシア) を解体させロシアへ侵入したカルル 12世の率いるスウェーデン軍は,ロシアの焼土作戦にあってモスクワ攻略を断念,南下してウクライナ・コサックと合流をはかった。ピョートル1世 (大帝)のロシア軍は 08年レスナヤの戦いでスウェーデン援軍を撃破し,コサック反乱軍を敗走させ,東ウクライナのポルタバ付近でカルル本隊決戦,これを文字どおり壊滅させた。カルルはトルコに逃れ,トルコを対ロシア戦に誘うなどして再起をはかったが,ポルタバの損害を取戻しえず,一方ピョートルはこれによって対スウェーデン同盟を復活させることに成功,以後バルト海をめぐるスウェーデン,ロシアの優劣関係は決定的に転換した。

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