1700-21年に起きたスウェーデンとロシア,ポーランド,デンマークなどとの戦争。17世紀末のスウェーデンは,〈バルト海帝国〉と呼ばれる未曾有の政治的版図を形成し,バルト海貿易を独占する北東ヨーロッパの強国であった。これに対して領土の奪還をねらうロシア,デンマーク,ザクセンとの間に,1699年北方同盟が結ばれた。とくにロシアのピョートル1世は,バルト海への出口を求めて,1700年スウェーデンに宣戦したが,11月にはフィンランド湾の要塞ナルバで敗北を喫した(ナルバの会戦)。スウェーデンのカール12世は,その後ポーランド,ザクセンへ侵攻し,ポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト2世の退位とスタニスワフ・レシチンスキの即位を要求し,これを認めさせた。07年8月,スウェーデン軍はロシアへ向かった。しかし,この間に急速に戦闘体制を整えつつあったロシアは,スモレンスク近郊で攻撃に出た。カール12世は,モスクワ直行の計画を変え,ウクライナに向かい,ロシア支配からの離脱を図ったマゼパとともに,09年要衝ポルタワでピョートルのロシア軍と対決した(ポルタワの会戦)。スウェーデン軍は壊滅的な打撃を受け,カール12世はトルコへ逃れた。ポルタワでのロシアの勝利は,北方戦争の帰趨(きすう)を制した。10年秋には,エストニア,リボニアからスウェーデン軍が一掃され,14年7月バンゲ沖では新生バルチック艦隊がスウェーデンの艦隊を撃破した(バンゲ沖海戦)。さらにポルタワ以降,デンマーク,ポーランドが戦列に復帰し,14-15年,プロイセン,ハノーファーが同盟側に加わった。18年に始まる和平交渉では,プロイセンはポメラニア(ポンメルン),ハノーファーはブレーメンとベルデンの領土を獲得し,21年8月のニュースタード(ニスタット)Nystadの和議において,ロシアは西カレリア,イングリア,エストニア,リボニアを獲得した。北方戦争は,ロシアの国際的地位を一挙に強化し,他方,三十年戦争以来のスウェーデンの〈バルト海帝国〉を崩壊に導くことにより,北東ヨーロッパの地図を大きく塗り変えた。
執筆者:土肥 恒之
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①〔第1次〕スウェーデン‐ポーランド戦争
②〔第2次〕Northern War 18世紀初めバルト海をめぐる新興勢力のロシアと旧勢力のスウェーデンの戦い(1700~21年)。ポーランド,デンマークがロシア側についた。1700年スウェーデン王カール12世にナルヴァで大敗したピョートル1世は,カール12世がポーランド,ザクセンと戦っている間に戦力をたくわえ,09年のポルタヴァの戦い,14年のハンゴ海戦で戦局を一変させ,21年のニスタットの和約で勝利を確定した。この戦争をてこにして「ピョートル改革」が断行され,以後ロシアはバルト海沿岸を併合し,港湾に艦隊を浮かべ,新都ペテルブルクを通じて西方への窓を広くした。
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