北方戦争(読み)ホッポウセンソウ(その他表記)Severnaya voina

デジタル大辞泉 「北方戦争」の意味・読み・例文・類語

ほっぽう‐せんそう〔ホクパウセンサウ〕【北方戦争】

1700~1721年、バルト海支配権をめぐって、デンマークプロイセンなどと結んだロシアスウェーデンとの間で行われた戦争当初はスウェーデンが優勢であったが、ポルタバ戦い転機ピョートル大帝のロシアが勝利をおさめ、1721年のニスタット条約でバルト海東岸を獲得、強国地位を得た。大北方戦争

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精選版 日本国語大辞典 「北方戦争」の意味・読み・例文・類語

ほっぽう‐せんそうホクハウセンサウ【北方戦争】

  1. 一七〇〇~二一年のバルト海をめぐるロシアのピョートル一世とスウェーデンのカール一二世の戦争。ポーランド・デンマークがロシア側につく。カールはデンマークを征服した後ポーランドに侵入したが、ポルタバの戦で敗れ戦争はロシアの勝利に終わる。二一年のニスタット条約で、ロシアはバルト海東岸の地を得、海への出口を確保した。

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改訂新版 世界大百科事典 「北方戦争」の意味・わかりやすい解説

北方戦争 (ほっぽうせんそう)
Severnaya voina

1700-21年に起きたスウェーデンとロシア,ポーランド,デンマークなどとの戦争。17世紀末のスウェーデンは,〈バルト海帝国〉と呼ばれる未曾有の政治的版図を形成し,バルト海貿易を独占する北東ヨーロッパの強国であった。これに対して領土の奪還をねらうロシア,デンマーク,ザクセンとの間に,1699年北方同盟が結ばれた。とくにロシアのピョートル1世は,バルト海への出口を求めて,1700年スウェーデンに宣戦したが,11月にはフィンランド湾の要塞ナルバで敗北を喫した(ナルバの会戦)。スウェーデンのカール12世は,その後ポーランド,ザクセンへ侵攻し,ポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト2世の退位とスタニスワフ・レシチンスキの即位を要求し,これを認めさせた。07年8月,スウェーデン軍はロシアへ向かった。しかし,この間に急速に戦闘体制を整えつつあったロシアは,スモレンスク近郊で攻撃に出た。カール12世は,モスクワ直行の計画を変え,ウクライナに向かい,ロシア支配からの離脱を図ったマゼパとともに,09年要衝ポルタワでピョートルのロシア軍と対決した(ポルタワの会戦)。スウェーデン軍は壊滅的な打撃を受け,カール12世はトルコへ逃れた。ポルタワでのロシアの勝利は,北方戦争の帰趨(きすう)を制した。10年秋には,エストニアリボニアからスウェーデン軍が一掃され,14年7月バンゲ沖では新生バルチック艦隊がスウェーデンの艦隊を撃破した(バンゲ沖海戦)。さらにポルタワ以降,デンマーク,ポーランドが戦列に復帰し,14-15年,プロイセン,ハノーファーが同盟側に加わった。18年に始まる和平交渉では,プロイセンはポメラニアポンメルン),ハノーファーはブレーメンとベルデンの領土を獲得し,21年8月のニュースタード(ニスタット)Nystadの和議において,ロシアは西カレリア,イングリア,エストニア,リボニアを獲得した。北方戦争は,ロシアの国際的地位を一挙に強化し,他方,三十年戦争以来のスウェーデンの〈バルト海帝国〉を崩壊に導くことにより,北東ヨーロッパの地図を大きく塗り変えた。
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百科事典マイペディア 「北方戦争」の意味・わかりやすい解説

北方戦争【ほっぽうせんそう】

1700年―1721年にわたり,バルト海域の覇権をめぐって行われたスウェーデンとロシアとの戦争。ポーランド,デンマークがロシアに荷担。1704年スウェーデンはナルバの戦でロシア軍に大勝。敗れたロシアはピョートル1世の下で国内体制をたて直し,1709年ポルタワの戦で大勝し戦局を逆転。1721年ニスタット条約を結んだ。この結果ロシアはバルト海に進出,国際的地位が高まった。
→関連項目アウグスト[2世]エストニアカール[12世]スウェーデンデンマークピョートル[1世]マゼパラトビアロシア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北方戦争」の意味・わかりやすい解説

北方戦争
ほっぽうせんそう
Northern War

1700~21年バルト海の支配権をめぐるロシアとスウェーデンとの戦争。デンマーク=ノルウェー,ポーランド,ザクセンがロシア側につき,14年からはプロシア,ハノーバーもロシア側に参加。 1700年 11月ナルバの戦いでスウェーデン軍に敗北したピョートル1世 (大帝)は,翌年にはノーテブルグの要塞を奪い,03年にはネバ河口にペテルブルグを建設,バルト海への根拠地とした。カルル 12世に率いられたスウェーデン軍は 08年ロシアに味方したザクセンとポーランドを破り,モスクワへ進出しようとしたが,ピョートル1世指揮下のロシア軍の反撃にあって南下。カルル 12世はウクライナ・コサックの頭目 I.マゼーパと結んで再びロシアを攻撃しようとしたが,09年7月ポルタバの戦いで決定的な敗北をこうむった。 10年ロシア軍はリガ,レーベリ (タリン) ,ブイボルグなどを占領,14年にはスウェーデンの艦隊を破ってバルト海の制海権を奪取した。 20年ロシア軍がストックホルムに進撃しようとしたので,スウェーデン側は講和のやむなきにいたり,21年9月 10日ニスタットの和約が締結された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「北方戦争」の解説

北方戦争(ほっぽうせんそう)

①〔第1次〕スウェーデン‐ポーランド戦争

②〔第2次〕Northern War 18世紀初めバルト海をめぐる新興勢力のロシアと旧勢力のスウェーデンの戦い(1700~21年)。ポーランド,デンマークがロシア側についた。1700年スウェーデン王カール12世にナルヴァで大敗したピョートル1世は,カール12世がポーランド,ザクセンと戦っている間に戦力をたくわえ,09年のポルタヴァの戦い,14年のハンゴ海戦で戦局を一変させ,21年のニスタットの和約で勝利を確定した。この戦争をてこにして「ピョートル改革」が断行され,以後ロシアはバルト海沿岸を併合し,港湾に艦隊を浮かべ,新都ペテルブルクを通じて西方への窓を広くした。

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旺文社世界史事典 三訂版 「北方戦争」の解説

北方戦争
ほっぽうせんそう
nothern War

1700〜21年に行われた,スウェーデン対デンマーク・ポーランド・ロシアなどのバルト海支配をめぐる戦争
初めロシアのピョートル1世はナルヴァの戦いでスウェーデン王カール12世に敗れたが,のちウクライナに侵入したカールの軍をポルタヴァの戦いに破って戦局を転換し,1714年には海戦でも勝利を得てバルト海の制海権を握った。この結果,1721年にニスタット条約が成立し,ロシアはバルト海東岸の地を得て海への出口を確保した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北方戦争」の意味・わかりやすい解説

北方戦争
ほっぽうせんそう

大北方戦争

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