メルメドカション(英語表記)Emanuel-Eugène Mermet (de) Cachon

改訂新版 世界大百科事典 「メルメドカション」の意味・わかりやすい解説

メルメ・ド・カション
Emanuel-Eugène Mermet (de) Cachon
生没年:1828-70?

フランス人宣教師。本名はメルメ・カションであるが,日本では姓にdeを入れメルメ・ド・カションと称し,また和春と署名した。ジュラ山中の寒村に生まれ,1852年パリ外国宣教会に入った。54年日本に向かい,沖縄の那覇で日本語を習得,58年(安政5)全権公使グロ男爵の通訳として来日したが,日仏通商条約締結後,初代フランス公使ベルクールと意見が合わず辞職した。翌59年香港から上海,長崎を経由して箱館へ渡り,称名寺内に司祭館を設け塾を開いてフランス語を教えた。弟子栗本鋤雲塩田三郎,立広作らがいる。60年江戸に出てから帰国,パリでアイヌ研究を出版する。64年フランス公使L.ロッシュに書記官に任命され再び来日した。幕府の設けた横浜フランス語伝習所を任され,横須賀造船所建設やフランス軍事顧問団招来に努力した。67年徳川昭武渡仏に随行,その後聖職を離れ晩年の動静は不詳である。上垣伊兵衛の《養蚕秘録》のフランス語への翻訳,《仏英和辞典》(未完)がある。
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世界大百科事典(旧版)内のメルメドカションの言及

【フランス】より

…1844年那覇に入港したフランスの軍艦アルクメーヌ号で渡来したパリ宣教師会師フォルカードは,1年滞在し日本語を学習した。クリミア戦争(1853‐56)はロシアの勢力がアジアで強くなることをイギリス,フランスに懸念させ,フランスはパリ宣教師会師メルメ・ド・カション,プティジャン,ジラールを那覇に送って日本語を習得させた。55年フランスは琉球と和親条約を結び,ナポレオン3世は日本にグロ男爵を送って58年日仏修好通商条約の締結にこぎつけ,59年にデュシェーヌ・ド・ベルクールを初代総領事として江戸に派遣した。…

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