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栗本鋤雲 くりもと

百科事典マイペディアの解説

栗本鋤雲【くりもとじょうん】

旧幕臣,新聞記者。名は鯤,匏庵(ほうあん)と号す。江戸生れ。家業を継いで幕府医官となるが,親仏派の中心人物として昌平黌頭取,軍艦奉行外国奉行などを歴任,1867年フランスに渡り,同国との親和に尽くしたが幕府瓦解とともに帰国。1872年《横浜毎日新聞》に入り,翌年《郵便報知新聞》編集主任となり,1885年退社まで福沢諭吉門下を集め民権派新聞の先導者として成島柳北福地桜痴と並ぶ名記者といわれた。主著《匏庵遺稿》。→自由民権
→関連項目郵便報知新聞

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

栗本鋤雲 くりもと-じょうん

1822-1897 幕末-明治時代の武士,新聞記者。
文政5年3月10日生まれ。奥詰医師の栗本瑞見(ずいけん)をつぐ。文久2年士分となり,箱館奉行組頭。のち目付,外国奉行などをつとめ,幕末の外交交渉にあたる。維新後「報知新聞」主筆として活躍。明治30年3月6日死去。76歳。江戸出身。本姓は喜多村。名は鯤。通称は瀬兵衛。別号に匏庵(ほうあん)。

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世界大百科事典 第2版の解説

くりもとじょうん【栗本鋤雲】

1822‐97(文政5‐明治30)
幕臣,ジャーナリスト。幕府医官喜多村槐園の第3子として江戸神田猿楽町に生まれる。栗本氏を継いで瑞見または瀬兵衛,匏菴(ほうあん)と号す。鋤雲は別号であったが,のち通称とする。1848年(嘉永1)幕府奥詰医官となるが,52年職を解かれ箱館に移住。病院,薬園などの造成に尽力。63年江戸に戻り昌平黌頭取,目付に任ぜられ,親仏派として列強との外交交渉にあたる。軍艦奉行,67年外国奉行としてフランスへいく。滞仏中維新にあい,帰国後小石川大塚に隠退

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大辞林 第三版の解説

くりもとじょうん【栗本鋤雲】

1822~1897) 新聞記者。名は鯤こん。別号、匏菴ほうあん。旧幕臣。学問所頭取・外国奉行を歴任。1873年(明治6)郵便報知新聞の編集主任となった。著「匏菴遺稿」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

栗本鋤雲
くりもとじょうん

[生]文政5(1822).3. 江戸
[没]1897.3.6. 東京
明治の新聞記者。名は鯤 (こん) ,通称清兵衛,号は匏庵。幕府医官の三男に生まれ,幼時から儒学,医学,本草学などを修めた。幕府医を務めたのち,昌平坂学問所頭取,軍艦奉行,外国奉行など,開国前後の外交官として活躍し,慶応3 (1867) 年渡仏,在仏中明治維新の変革があった。翌年帰国後は一時帰農。明治5 (1872) 年『横浜毎日新聞』に入社し,翌年9月『郵便報知新聞』に編集主宰として入社した。西欧的自由主義思想で藩閥政府批判の筆をふるい,随筆も好評であった。主著『匏庵遺稿』。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

栗本鋤雲
くりもとじょうん
(1822―1897)

幕末の政治家。明治初期の新聞記者。名を鯤(こん)、通称瀬兵衛(せへえ)。匏庵(ほうあん)・鋤雲と号し、安芸守(あきのかみ)を称する。幕府の医官喜多村槐園(きたむらかいえん)の三男。同じく医官の栗本氏の養子となり、1850年(嘉永3)内班侍医となったが、上司の忌諱(きき)に触れて1858年(安政5)蝦夷地(えぞち)移住を命ぜられた。10年間を箱館(はこだて)に過ごし、この間フランス人宣教師メルメ・ド・カションEugne-Emmanuel Mermet de Cachon(1828―1889)と親交を結び、1862年(文久2)士籍に列し幕臣となってから一貫して親仏派の領袖(りょうしゅう)として幕末外交史上に活躍した。
 1864年(元治1)目付に任じ、横浜鎖港談判にあたり、翌1865年外国奉行(ぶぎょう)となる。この間、フランス軍事顧問団の招聘(しょうへい)、横須賀造船所の設立に尽力し、フランス文化の移植と殖産興業に努めた。1867年(慶応3)に渡仏した将軍名代徳川昭武(とくがわあきたけ)(1853―1910)をたすけてフランスに派遣され、幕仏間の親善を図ったが、幕府倒壊により1868年帰国。その後一時世間との交渉を断ったが、1872年『横浜毎日新聞』に入り、翌1873年『郵便報知新聞』(『報知新聞』の前身)に編集主任として招かれ、1885年に同社を退くまで才筆を振るい、成島柳北(なるしまりゅうほく)、福地桜痴(ふくちおうち)らとともに声名をはせた。その間、1878年には東京学士会員に推された。60余編の遺著が『匏庵遺稿』に収められている。[加藤榮一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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