レホアン(英語表記)Le Hoan

改訂新版 世界大百科事典 「レホアン」の意味・わかりやすい解説

レ・ホアン (黎桓
)
Le Hoan
生没年:950-1005

ベトナムの前レ(黎)朝の創始者。在位980-1005年。タインホアの出身。ディン・ボ・リン(丁部領)に仕え,リンのベトナム統一後,十道将軍となって軍権を握った。979年にリンと太子のリエン(璉)が暗殺されるや,6歳の幼帝を立ててみずからは摂政にのぼり,副王と称して反対者を次々に倒した。980年に宋はディン(丁)朝の壊滅を聞いて侯仁宝に命じ,ベトナムに進攻させようとした。これに対しベトナムの諸将はレ・ホアンを帝位に推した。981年レ・ホアンはバクダン川(白藤江)で宋の水軍を迎撃して完勝した。次いで宋と復交して993年には交趾郡王に封じられ,独立を確保した。一方,981年には南方チャンパに進攻して城池を壊し,財貨を奪った。内政では天福銭というベトナム最初の貨幣を作ったことが注目される。しかし地方制度では,皇子をソンコイ川デルタ各地に分封して王と称させるなど,スークアン(使君)以来の分権制を継承した。大行(ダイハン)皇帝と号し,レ・ダイハンLe Dai Hangとも呼ばれる。
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世界大百科事典(旧版)内のレホアンの言及

【ベトナム】より

…ゴ・クエンの死後,各地の土豪(スークアン(使君)と呼ばれた)の割拠時代を経て,966年下部デルタ水上勢力の雄ディン・ボ・リン(丁部領)が諸勢力を平定して,ホアル(華閭)に都し,国号をダイコベト(大瞿越)と称した。リンの死後,レ・ホアン(黎桓)が帝位を奪い,宋の干渉軍をバクダン川(白藤江)で破り,他方,中部ベトナムに栄えていた林邑の後継であるチャンパに遠征して南辺を固めた。993年宋はホアンを交趾郡王に封じ,その独立を承認した。…

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