大学事典 「ヴォロネジ大学」の解説
ヴォロネジ大学[ロシア]
ヴォロネジだいがく
ロシア南西部のドン川支流ヴォロネジ川河口に位置し,1802年創設のデルプト大学(ロシア)からユリエフ大学(ロシア)を経て1918年に現在の名称となる。エストニアは同年の独立宣言直後ドイツ軍に占領されたが,ボリシェビキ政府がタルトゥ大学のスタッフ等を一部移して開学した。1942年にもドイツ軍の侵略を受け,ヴォロネジ市内は壊滅状態となったが,以後復興を果たしてロシアで15番目の100万都市に発展し,ノーベル賞受賞者バーソフ,プラトーノフ,マルシャークなど多くの文化人を引き付け,黒土地帯の中心地となった。2013年現在の学生数は2万人を超え,教授陣も約1500人を数える。大学最古の文学部・法学部のほか,1969年には応用数学・情報・メカニック学部を,また99年にはコンピュータ学部を新設するなど18学部を擁し,大学院,研究所,図書館,博物館,学術諸施設も充実の度を加えている。
著者: 森岡修一
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報