文学部(読み)ぶんがくぶ

精選版 日本国語大辞典 「文学部」の意味・読み・例文・類語

ぶんがく‐ぶ【文学部】

  1. 〘 名詞 〙 大学文学系(哲学・歴史学文芸学社会学など)の学問を専攻する学部
    1. [初出の実例]「上野の公園内の教育博物館は文学部の物品のみ陳列し」(出典:東京日日新聞‐明治一二年(1879)二月一日)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

大学事典 「文学部」の解説

文学部
ぶんがくぶ

[文学とは何か]

1877年(明治10)に日本で最初の国立大学(正確に言えば文部省の大学)として誕生した東京大学は四つの学部をもっていたが,文学部はその最初の,つまり日本最古の学部の一つである。この文学部は2科に分かれており,第一科は史学哲学及政治学科(日本),第二科は和漢文学科(日本)であった。その後第一科から史学が削られ,1881年には第一科哲学科,第二科政治学及理財学科,第三科和漢文学科となった。政治学や理財学が文学部に含まれているのは現在の目には奇妙に映るだろう。1883年に文学部を卒業した坪内逍遥(1859-1935)は「文学部といっても,当時は政治,経済が主で」という言葉を残しているが(高田早苗述『半峰昔ばなし』),この政治学と理財学は1885年に法学部に移される。ここからも浮かびあがってくるように,当初「文学」をもって何を指すのかがそれほど明確ではなかった。「文学」は文科系の学問,文献についての学問,文章術などを広く意味していたのである。これは,文学部が英語ではFaculty of Lettersと呼ばれることからも示される。狭義literature(文学)ではなく,letters(文)を研究する場なのである。

 1886年の帝国大学令により,東京大学文学部は帝国大学文科大学(日本)になるが,そこに英吉利文学科と独逸文学科が新設されたことがきっかけとなり,文芸作品やその研究が狭義の文学=literatureとして定着していく。つまり,むしろ文学部の学問内容の方が文学の意味形成に影響を与えた。文学部に含まれる学科が時代によって変化していったことは,「文学」という言葉の多様性と関係していると言える。東京帝国大学文科大学は哲学科・史学科・文学科に大きく分かれていたが,これが日本の文学部の核となる学問内容である。1919年(大正8)の帝国大学令改正とともに文科大学は再び文学部となり,19の専修学科を持つことになる。そこには新たに教育学,心理学,社会学が含まれていた。教育学科は新制東京大学の発足時に教育学部として独立している。

[低い地位と高い誇り]

ヨーロッパの大学,とくにドイツの大学をモデルとしてつくられた帝国大学の文学部が本家と大きく違う点は,大学内での地位の低さである。東京大学文学部は当時のドイツの大学の哲学部(ドイツ)(Philosophische Fakultät)にあたるものとして構想された。哲学部は中世の大学においては,現在の日本の大学の人文系学部と理学部を合わせたような,言わば文理学部として下級学部に位置づけられており,その上に法学部・神学部・医学部などの職業教育をする専門学部が置かれていた。それが18世紀末頃から一つの上級学部として独立し,専門諸学部と同格になった。中山茂『帝国大学の誕生』(中公新書,1978年)によれば,19世紀のドイツ大学の名声を支えたのがこの哲学部の隆盛であったという。

 それに対して,帝国大学内での文学部の地位は高いものではなかった。そもそも,いわゆる旧七帝国大学の中で文学部の設置が認められたのは東京と京都のみであった。東京帝国大学の中核をなすのは官僚養成機関としての法学部だった。またドイツでは実学を扱う学部として大学から排除されていた工学部農学部が,帝国大学には当初から組み込まれたのである。明治日本の官僚育成・理系実学重視の政策は,帝大文学部には不利に働いた。就職に恵まれない文学部には学生があまり集まらなかったのである。しかしその反面,夏目漱石(1867-1916)をはじめとする日本近代文学の担い手たちを,文学部は数多く生みだすことにもなる。このことは,欧米の作家たちが必ずしも大学卒業者や文学部出身者ではないのに対し,近代日本の作家たちの一つの特徴となっていると言えよう。

 第2次世界大戦後の新制大学,とりわけ私立大学において文学部はその数を増やしていく。1971(昭和46)年度の文学部の数は123で,諸学部の中で最も多い(文部省『学制百年史』)。文学部は総合大学として備えておきたい伝統ある学部であった。文学部はまた,戦後,大学への入学が可能になった女子の受け皿と見なされた。早稲田大学教授で国文学者の暉峻康隆は「女子学生世にはばかる」と題するエッセイを1962年『婦人公論』に発表し,「女子学生亡国論(日本)」という言葉まで生まれたが,このエッセイでは,私立大学文学部で定員の半数以上が「学科試験の成績がよいというだけ」の女子学生に占められてしまったことが嘆かれている。

[少子化と大衆化の中で]

しかし文学部に本当に大きな転機が訪れるのは1990年代半ば以降である。『文学部がなくなる日』(倉部史記著,主婦の友社,2011年)というショッキングな題名の本もあるが,実際,文学部という名称を捨て学部を改組する私立大学が続々と出てきたのである。国際教養学部や総合人間学部といった名称である。また以前ならば文学部と称されてもよい新設学部が,グローバル・コミュニケーション学部といった名称を採用している。文学部が少なくなっていく理由として,大学激増と少子化の挟撃によって私立大学経営が苦しくなり,より受験生とその就職希望にアピールする学部名が求められていることがまず挙げられるだろう。さらに大学進学率が約50%という急激な高等教育の大衆化によって学生が多様化し,人文系の学部に入ってくる学生に対して,かつての文学部の伝統的な教育が通用しなくなっていることも考えられる。いずれにしろ文学部は変化しつつある。あるいは,ここに記述してきたように,つねに変化し続けてきた。
著者: 高田里惠子

参考文献: 磯田光一「訳語『文学』の誕生―西と東の交点」『鹿鳴館の系譜』講談社,1991.

参考文献: 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部制作『黌道夢華―昔の文学部 今の文学部』,2004.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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