日本歴史地名大系 「一丁田中村」の解説 一丁田中村いつちようたなかむら 山梨県:山梨市一丁田中村[現在地名]山梨市一町田中(いつちようたなか)大野(おおの)村の南にあり、笛吹川の支流日(ひ)川と重(おも)川との合流点付近の平地に広がる。東は歌田(うただ)村。村内を甲州道中が通る。「甲斐国志」は古くは日川対岸の八代郡南田中(みなみたなか)村(現一宮町)と一村であったと推定し、北田中村と称したとしている。慶長古高帳では田中とみえ、高五七五石余、うち旗本関領三〇〇石・幕府領二七五石余、ほかに御嶽(みたけ)領一石余。寛永元年(一六二四)から同九年まで徳川忠直領(文化三年「村明細帳」日川村誌)。徳川忠直改易後、旗本坪内領二六五石余・蒔田領一〇九石余・大久保領一〇〇石・戸田領一〇〇石となった(同村明細帳)。貞享二年采地簿(臆乗鈔)では旗本坪内・蒔田・大久保・仙波領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by