日本歴史地名大系 「北田中村」の解説 北田中村きただなかむら 大阪府:和泉市北田中村[現在地名]和泉市北田中町下宮(しものみや)村の南に位置する。槙尾(まきお)川が北流し、当地で父鬼(ちちおに)川を合せる。横山(よこやま)谷の一村。近世初期には北田村・中村の二村であったが、のちに合して一村となった。文禄三年(一五九四)の検地帳(池辺家文書)は横山谷で一括されており村高は不明だが、北田村居住者の名請人一四名(屋敷数九)、中村居住者の名請人七名(屋敷数零)。慶長一六年(一六一一)片桐且元による検地が行われ、横山谷内北田村御検地帳・横山谷之内北田村中村御検地帳(壺井家文書)の二冊が作成された。 北田中村きたたなかむら 兵庫県:神崎郡市川町北田中村[現在地名]市川町北田中上田中(うえたなか)村の西、小畑(おばた)川左岸に位置する。神東(じんとう)郡に属し、中世は田中庄に含まれた。慶長国絵図では上田中の西に記載される北村が当村のことと思われる。正保郷帳では田中村に含まれた。元禄郷帳に村名がみえ、「古ハ田中村」と注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by