一方井村(読み)いつかたいむら

日本歴史地名大系 「一方井村」の解説

一方井村
いつかたいむら

[現在地名]岩手町一方井

一方井川流域に位置し、東は五日市いつかいち村、南はぼう村・土川つちかわ村。宝積ほうしやく寺の東に古館、西に新館とよばれる城跡があり、いずれも一方井城といわれる。古館は南と北の二郭からなり、幅の広い堀で画される。その後新館が利用されたと考えられる。新館は輪台わだい城ともよばれ、南北二郭からなり、深い堀で画される。一方井氏が居城したと伝える。一方井氏は秋田の安東氏一族で、天文一五年(一五四六)盛岡藩初代藩主南部信直は、一方井刑部の娘を母として当地で生れたという(「参考諸家系図」など)。南部領諸城破却書上に「安東孫次郎持分」とある。慶長一二年(一六〇七)九月二一日の南部利直知行宛行状(参考諸家系図)によれば、米内右近は当地で四一石余を宛行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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