一貴山村(読み)いきさんむら

日本歴史地名大系 「一貴山村」の解説

一貴山村
いきさんむら

[現在地名]二丈町一貴山

河原かわばる村の南、一貴山川(深江川)上流部の山間に位置する。西は淀川よどがわ村、南は肥前国松浦まつら荒川あらかわ(現佐賀県七山村)。建武五年(一三三八)閏七月一一日の少弐頼尚書下(修学院文書/南北朝遺文(九州編)一)に「一貴寺山政所朗融」とみえ、朗融は有智うち(現太宰府市)の琳智が当地の一貴寺政所坊領である田地の稲を刈取ろうとしたと訴え、守護少弐頼尚は狼藉鎮圧を草野次郎に命じている。暦応三年(一三四〇)南朝方の新田禅師と原田孫次郎(深江種長)らが一貴いき寺に立籠ったが、松浦中村勇・重富正高らが馳せ向い追払っている(同年三月日「重富正高軍忠状」重富文書など/南北朝遺文(九州編)二)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報