新撰 芸能人物事典 明治~平成 「一龍斎 貞山(3代目)」の解説
一龍斎 貞山(3代目)
イチリュウサイ テイザン
- 職業
- 講談師
- 本名
- 内山 孝七
- 別名
- 前名=伊東 花林,一龍斎 貞吉(初代),一竜斎 貞山(3代目)
- 生年月日
- 天保6年
- 経歴
- 本名は孝吉とも伝わる。初代伊東潮花に入門して花林を名乗るが、訥弁のため見込み無しとされた。やがて2代目一龍斎貞山の門に移って頭角を現し、初代貞吉を経て、明治7年師の急逝に伴い、3代目一龍斎貞山を襲名。18年弟子の初代一龍斎貞丈に4代目貞山を譲り、錦城斎一山を名乗った。「義士伝」や「伊賀の水月」「黒田騒動」などの軍談物を得意とし、明治初期の講談界における大看板の一人と目された。特に「義士伝」で尊敬する大石内蔵助の名を語るときは、その名前を決して呼び捨てにしなかったという。門下からは2代目一龍斎一山、5代目一龍斎貞山(3代目錦城斎典山)、2代目一龍斎貞吉(邑井一)らを輩出した。大頭のため、“頼朝公”のあだ名があった。
- 没年月日
- 明治22年 3月21日 (1889年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報