近世初期の福岡藩黒田氏の御家騒動。1623年(元和9)藩主となった忠之は孝高(よしたか)(如水),長政の代からの譜代の功臣を退けて倉八十太夫らの側近を重用,そのうえ,軍船鳳凰丸の建造,足軽隊の増強など幕令をはばからぬ行為が多かった。家老栗山大膳(譜代功臣利安の嫡子)はしばしば忠之をいさめたが,忠之はかえって大膳を亡きものにせんとしたので,32年(寛永9)大膳は豊後府内藩主竹中采女正とともに江戸にのぼり,忠之に謀反の心あるの旨を幕府に訴え出た。翌年,幕府は忠之および大膳らを尋問,その結果,忠之は謀反の意志はないとして許され,大膳は盛岡藩にお預けとなった。この事件は忠之の失政が表面化するに先だって大膳が忠之を幕府に訴えることによって,未然に主家を救おうとしたものといわれている。事件のてんまつは《列侯深秘録》所収の〈磐井物語〉〈栗山大膳記〉〈西木子紀事〉に詳述されている。
執筆者:野口 喜久雄
黒田騒動を題材にした実録体小説が現れ,講釈師によって語られるうちに内容豊かになっていった。18世紀末か19世紀初め成立の《箱崎文庫》(30巻),幕末成立の《寛永箱崎文庫》(50巻)などがある。また歌舞伎お家物の一系統を成すに至った。講釈で普及したのを歌舞伎に脚色した最初は,1852年(嘉永5)8月江戸中村座の3世瀬川如皐(じよこう)作《御伽譚博多新織(おとぎばなしはかたのいまおり)》で,75年10月東京新富座の河竹黙阿弥作《筑紫巷談浪白縫(つくしこうだんなみのしらぬい)》や,77年大阪戎座(えびすざ)の勝能進作《玉櫛笥箱崎文庫(たまくしげはこざきぶんこ)》などを経て,黙阿弥が前記作を《博多新織》に近づけて改作した82年11月東京新富座の《黒白論織分博多(こくびやくろんおりわけはかた)》を決定版としてよかろう。9世市川団十郎が鳥山(栗山)大膳をつとめた。のち,1918年6月,東京帝国劇場で右田寅彦作の《栗山大膳》が上演された。
執筆者:井草 利夫
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江戸時代初期、福岡藩に起こった御家騒動。1623年(元和9)黒田長政(ながまさ)の死後、長子の忠之(ただゆき)が第2代福岡藩主となり、重臣栗山大膳(だいぜん)(1591―1652)が長政の遺言によって忠之を補佐した。しかし忠之は大膳ら旧臣を遠ざけて新参の倉八十太夫(くらはちじゅうだゆう)を重用、大膳らの諫言(かんげん)をいれず、大船鳳凰(ほうおう)丸の建造や足軽隊の新設など幕府の大名取りつぶしに口実を与える行為が重なった。このため両者はしだいに対立するようになり、ついには忠之が大膳を殺そうとしたため、1632年(寛永9)大膳は忠之が謀反を企てていると幕府に訴え出た。翌年幕府は忠之を尋問、大膳と黒田家の重臣を対決させた。この結果、謀反の事実はないとして、忠之の所領はいったん没収されたのち、先祖の軍功を理由に再安堵(あんど)され、倉八十太夫は高野山(こうやさん)へ追放、栗山大膳は南部(盛岡)藩に預けられ幕府より千人扶持(ぶち)を与えられ事件は落着した。大膳は忠之の失政によって黒田家が取りつぶされることを恐れ、わざと幕府に訴え出てこれを未然に防ごうとしたともいわれるが、真相は不明。読み物として潤色された『寛永箱崎(はこざき)文庫』などがあり、講談、歌舞伎(かぶき)などによっても上演され、加賀騒動、伊達(だて)騒動などとともに広く世間に知られた。
[柴多一雄]
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