七堂伽藍跡(読み)しちどうがらんあと

日本歴史地名大系 「七堂伽藍跡」の解説

七堂伽藍跡
しちどうがらんあと

[現在地名]茅ヶ崎市下寺尾 西方

小出こいで川の東、西方にしかた貝塚のある低台地の南側にひらけた一段低い砂丘上(標高約八メートル)に位置する。

元禄一五年(一七〇二)の小和田村上正寺略縁起(県史八)によれば、上正じようしよう寺の前身高座こうざ寺尾てらお郷にあった「海円院」で、鎌倉時代に小和田こわだに移転したという。そこには「数ケの堂舎」が建ち、「本堂崇楼金壁其巍々たる事いふへからす」と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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