七堂伽藍跡(読み)しちどうがらんあと

日本歴史地名大系 「七堂伽藍跡」の解説

七堂伽藍跡
しちどうがらんあと

[現在地名]茅ヶ崎市下寺尾 西方

小出こいで川の東、西方にしかた貝塚のある低台地の南側にひらけた一段低い砂丘上(標高約八メートル)に位置する。

元禄一五年(一七〇二)の小和田村上正寺略縁起(県史八)によれば、上正じようしよう寺の前身高座こうざ寺尾てらお郷にあった「海円院」で、鎌倉時代に小和田こわだに移転したという。そこには「数ケの堂舎」が建ち、「本堂崇楼金壁其巍々たる事いふへからす」と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む