三ッ山新田村(読み)みつやましんでんむら

日本歴史地名大系 「三ッ山新田村」の解説

三ッ山新田村
みつやましんでんむら

[現在地名]山都町 三ッ山・大山中(おおやまなか)・石原(いしはら)・前屋敷(まえやしき)・御林(おはやし)・下石打場(しもいしうちば)・石打場上(いしうちばうえ)・上新田(うわしんでん)・焼野(やけの)・横峰(よこみね)・上谷地(うわやち)・上谷地道西(うわやちみちにし)・沢(さわ)・一(いち)ノ沢(さわ)・門松(かどまつ)・中(なか)ノ平(だいら)・中(なか)ノ平道下(だいらみちした)・沢尻(さわじり)・大林(おおばやし)・揚場(あげば)・土手下(どてした)・八反割(はつたんわり)・大堰北(おおせききた)・下(しも)ノ坂(さか)・下湯沢(しもゆさわ)

広野(ひろの)村の西、阿賀川北側の河岸段丘上にあり、西は舘原(たてのはら)村。寛文三年(一六六三)木曾組郷頭であった堂山(どうやま)村宮城家によって舘原村内に開かれた新田村で、村名は地内に山が三つあったところから名付けられたという(文政八年「木曾組風土記」)。寛文六年の「会津風土記」に村名がみえる。享保一八年(一七三三)の木曾組手鑑(真部家文書)では高二九〇石余(うち入作分一三五石余)、家数八(竈数八)・人数五〇、雑駄七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

アジア諸国の友好と平和促進とを目的としたスポーツ大会。第1回は1951年にインドで開催。原則としてオリンピックの中間年に行われる。主催はアジア‐オリンピック評議会。→アジア冬季競技大会...

アジア競技大会の用語解説を読む