三ッ山新田村
みつやましんでんむら
[現在地名]山都町 三ッ山・大山中・石原・前屋敷・御林・下石打場・石打場上・上新田・焼野・横峰・上谷地・上谷地道西・沢・一ノ沢・門松・中ノ平・中ノ平道下・沢尻・大林・揚場・土手下・八反割・大堰北・下ノ坂・下湯沢
広野村の西、阿賀川北側の河岸段丘上にあり、西は舘原村。寛文三年(一六六三)木曾組郷頭であった堂山村宮城家によって舘原村内に開かれた新田村で、村名は地内に山が三つあったところから名付けられたという(文政八年「木曾組風土記」)。寛文六年の「会津風土記」に村名がみえる。享保一八年(一七三三)の木曾組手鑑(真部家文書)では高二九〇石余(うち入作分一三五石余)、家数八(竈数八)・人数五〇、雑駄七。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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