日本歴史地名大系 「三和勅旨田」の解説 三和勅旨田みわちよくしでん 兵庫県:氷上郡市島町三和勅旨田美和(みわ)川が竹田(たけだ)川に注ぐ付近にある現勅使(ちよくし)・東勅使(ひがしちよくし)を遺称とし、同地一帯に比定される勅旨田。成立の事情はつまびらかでないが、大治五年(一一三〇)一〇月に落慶した待賢門院の御願寺である法金剛(ほうこんごう)院(現京都市上京区)に施入された。その後、鎌倉時代に同院が衰退したのに伴い、当勅旨田は本寺である京都仁和寺に継承され、元弘三年(一三三三)九月八日の後醍醐天皇綸旨(仁和寺文書)によって「丹波国三和品田」が安堵された。観応二年(一三五一)葛野新五郎が「三和勅旨田」を濫妨したと仁和寺の円宗(えんしゆう)寺雑掌定勝が訴え、同年四月一九日雑掌に所務を沙汰し付けるように命じており(「室町幕府引付頭人奉書案」同文書)、次いで守護・守護代の遵行および現地での打渡しが行われている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by