〈京都・山城寺院神社大事典〉
仁和寺は光孝天皇の御願寺として出発し、最初の門跡寺院として知られる。仁和二年(八八六)光孝天皇の勅願として大内山の麓に起工されたが成就せず、天皇は同三年八月に死去(三代実録)。遺志を継いだ宇多天皇が工事を進め、ほぼ同年に完成した(一代要記)。「日本紀略」同四年一月一七日条に「於新造西山御願寺、先帝周忌御斎会」とみえ、光孝天皇一周忌供養が行われた。「帝王編年記」同年八月一七日条には、「供養仁和寺金堂葛野郡小松郷、奉為先帝所創立也」とあり、同供養の導師は空海の弟子真然が務めた(仁和寺堂院記)。「仁和寺御伝」は「光孝天皇、相当城州葛野郡小松郷大内山之麓、擺棘、穿衆木、草創一院、仁和寺是也」とその濫觴を伝える。寺名は創建の年号をとった年号寺院であるが、「西山御願寺」(「日本紀略」前掲条)、「にわじ」(枕草子)などとよばれた。
寛平二年(八九〇)一一月二三日の太政官符(類聚三代格)によると、別当幽仙の奏請によって年分度者二人が置かれ、金光明経・法華経を転読して国家を鎮護する台密系の寺院として定着した。その後、宇多天皇は譲位して、昌泰二年(八九九)一〇月二四日に当寺で出家し(法名空理)、京都東寺(教王護国寺)一長者益信より戒をうけて仁和寺第一世となり、寛平法皇といわれた(日本紀略・仁和寺御伝)。同時に布薩(罪を告白懺悔する行事)が置かれた(仁和寺御伝)。境内に
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京都市右京区の双ヶ丘(ならびがおか)の北にある真言宗御室(おむろ)派の総本山。大内山と号し,仁和寺門跡,御室御所ともいう。886年(仁和2)光孝天皇が鎮護国家の道場として造営を発願,その志を宇多天皇が継いで888年に金堂落成,元号をとって仁和寺と号した。宇多天皇は譲位後の899年(昌泰2)出家して仁和寺第1世となり,904年(延喜4)寺内に室を設けて法務の在所としたことから御室の呼称がおこった。そののち当寺は代々法親王が法灯を継いで格式高い宮門跡寺院(門跡)として明治維新に至った。宇多天皇の入寺以後,真言宗となり,当寺を中心とする法流を広沢流という。創建から鎌倉初期までが興隆期で,門跡は四円寺や六勝寺など天皇家御願寺の検校を兼ね,広大な寺域内には歴代の天皇や皇族により諸堂舎や数十に及ぶ院家(いんげ)・子院が次々と造営され,諸国に多くの荘園をもち,全山桜にかこまれて,桜花会や競馬(くらべうま)が王朝貴族の目を楽しませた。しかし,創建以来たびたび火災と復興をくりかえし,中世以降しだいに寺運も傾いていたが,とくに応仁の乱の兵火で全山の堂舎がほとんど炎上して衰微の極に達した。
江戸時代初期の1634年(寛永11)から幕府の援助で本格的な復興造営が開始され,御所改造に伴い金堂に紫宸殿,御影堂に清涼殿,宸殿に常御殿を移築し,ほかに五重塔,二王門や諸堂舎も完成し,1646年(正保3)落慶法要を修し,寺領1500石も確定して,ほぼ現在の寺観に整備された。1887年の火災で庫裏などを焼失したが,現存堂舎の主要部はこの寛永再建にかかり,当寺は近世初期建築の宝庫となっている。金堂は国宝,五重塔,御影堂,二王門,中門,観音堂などは重要文化財,庭園は池泉回遊式で飛濤亭(ひとうてい),遼廓亭(りようかくてい)の茶室(いずれも重要文化財)がある。
寛永再建のころ,野々村仁清が当寺門前辺に窯を開き,仁清窯また御室焼と呼ばれて公家,社寺,武家,上層町衆に好まれたことは有名である。江戸後期には大内山の西の成就山に四国八十八ヵ所霊場をうつして,御室八十八ヵ所として庶民信仰を集め,現在も参詣者が多い。宮門跡の長い伝統は,明治維新政府の対天皇家宗教政策によって禁止され,純仁法親王が1867年(慶応3)還俗(げんぞく)して終りを告げた。境内にある200余本の厚物の桜は,〈御室桜〉〈厚物桜〉〈おたふく桜〉と呼ばれ,京都の名物になっている。桜木は背が低くて花弁が厚く〈わたしゃおたふく おむろのさくら はなが低くてひとがよく〉とも謡われて,文芸の世界にもしばしば登場する。国宝・重要文化財指定の寺宝はすこぶる多く,有名なものに孔雀明王画像(南宋),阿弥陀如来および両脇侍像(金堂安置,平安時代),宝相華蒔絵宝珠箱(平安時代),空海筆の三十帖冊子(平安時代),《御室相承記》(鎌倉時代),現存最古の医学書として知られる《医心方》(平安時代),歴代天皇の宸翰類などがある。
執筆者:藤井 学
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京都市右京区御室(おむろ)大内町にある真言(しんごん)宗御室派の総本山。大内山と号する。古くは「にわじ」とよび、御室御所(ごしょ)、また仁和寺門跡(もんぜき)と称した。本尊は阿弥陀(あみだ)三尊。光孝(こうこう)天皇の勅願により、886年(仁和2)起工されたが、完成をみず天皇は翌年死去。宇多(うだ)天皇が遺志を継いで888年に完成、真然(しんぜん)を導師として供養を営み、年号をとって仁和寺と号し、観賢が別当職についた。宇多天皇はのち東寺の益信(やくしん)について出家して法皇となり、当寺の南に一宇を創建して住したので、以来、御室御所といわれた。そののち代々皇族の法親王が住職となり、また寛朝、寛空、済信(さいしん)、寛助らの高僧も住して、真言宗の学問と修法の両面の発展に努めたが、1119年(元永2)諸堂焼失した。しかしその後も朝廷、貴族の信仰はいよいよ厚く、諸堂伽藍(がらん)の創建も相次ぎ、平安末期に覚性法親王が初めて総法務職に任ぜられ、このとき寺門大いに繁栄し、門跡寺院として諸宗各本山の最上位を占めた。鎌倉時代にもなおこの繁栄は続いたが、室町時代にはやや衰微した。ついで応仁(おうにん)の乱(1467~77)で堂宇が全焼し、久しく荒廃したが、江戸時代の初めに徳川家光(いえみつ)が20万両を下付し、また1637年(寛永14)皇居改造に際し、紫宸(ししん)殿、清涼殿、常御殿、唐門(からもん)、四脚門などが下賜され、堂塔30余、真光院など10余院が重建された。明治維新に至って皇統門跡が断絶し、1887年(明治20)諸堂が焼失したが、数年後には諸堂の一部を修営し、ついで1909年(明治42)再建の工を起こし、14年(大正3)重興された。
現在、金堂(国宝)、御影(みえい)堂、仁王(におう)門、五重塔、観音(かんのん)堂、中門、鐘楼、茶室の飛濤(ひとう)亭、遼廓(りょうかく)亭(以上、国重要文化財)などがある。金堂は1642年移築の紫宸殿(江戸時代)で、阿弥陀・観音・勢至(せいし)の三尊像(平安前期、国宝)を安置し、御影堂は同年移築された清涼殿(江戸時代)を宝形(ほうぎょう)造にしたもので、弘法大師(こうぼうだいし)空海の坐像(ざぞう)を安置している。五重塔と仁王門は同年の建立。彫刻に阿弥陀三尊像(国宝)ほか、増長(ぞうちょう)天・多聞(たもん)天立像、吉祥天立像、愛染(あいぜん)明王坐像(以上平安後期、重文)などがあり、絵画に絹本着色孔雀明王(くじゃくみょうおう)像(南宋(なんそう)代、国宝)、同聖徳太子像(鎌倉時代、重文)など、また文書典籍に『三十帖冊子(さんじゅうじょうさっし)』(空海筆ほか数筆、平安初期)、『医心方』(平安後期)、『御室相承記』(鎌倉時代、いずれも国宝)など、多くの文化財を蔵している。寺域は広大で、山内に宇多天皇の御陵がある。またサクラの名所で、俗に御室の桜といわれる。1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。
[勝又俊教]
『清水善三著『仁和寺』(1967・中央公論美術出版)』▽『『古寺巡礼 京都11 仁和寺』(1977・淡交社)』
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京都市右京区にある真言宗御室(おむろ)派の総本山。御室・仁和寺門跡ともいう。大内山と号す。光孝天皇の御願寺として造営され,888年(仁和4)に金堂が完成,仁和寺と命名された。899年(昌泰2)宇多上皇は益信(やくしん)を戒師として出家をとげ,この寺に御室を設けて住んだ。御室は代々法親王によって継承され,高い格式を誇る門跡寺院へと発展。広大な寺領と多数の子院をもち大いに繁栄した。応仁・文明の乱の兵火で焼失したが,江戸初期に復興。皇居の建物を移建して金堂・御影堂とした。金堂は国宝。多くの仏像・典籍・文書を蔵し,阿弥陀三尊像・「孔雀(くじゃく)明王像」・宝相華蒔絵宝珠箱・「三十帖冊子」「医心方(いしんぽう)」などはいずれも国宝。御所跡は国史跡。
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…平安時代に,現在の京都市右京区竜安寺の付近にあった四つの御願寺(ごがんじ)の総称。いずれも仁和寺(にんなじ)の子院で,天皇の後院(ごいん)として営まれた。仁和寺に深く帰依した円融天皇が983年(永観1)に御願寺とした円融寺をはじめとして,998年(長徳4)一条天皇御願の円教寺,後朱雀天皇の御願で,後冷泉天皇により1055年(天喜3)に完成した円乗寺,70年(延久2)後三条天皇御願の円宗寺(初め円明寺と称す)である。…
※「仁和寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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