三和庄(読み)みわのしよう

日本歴史地名大系 「三和庄」の解説

三和庄
みわのしよう

竹田たけだ川の支流美和みわ川流域一帯に比定される庄園。「和名抄」所載の氷上郡美和郷が庄園化したと考えられる。寛治四年(一〇九〇)七月一三日京都賀茂御祖かもみおや(下鴨社)寄進された不輸田七四五町の一ヵ所で、「丹波国三和庄」公田四〇町とある(賀茂社古代庄園御厨)。ただし「百錬抄」はこの時の寄進を「加茂上下社被不輸田六百余町、為御供田」と記しており所伝が若干異なる。当庄は中世を通じて下鴨社領であった。文治二年(一一八六)六月当庄の住人延包が山城石清水いわしみず八幡宮領質美しつみ(現京都府瑞穂町)の下司に付けて召進められているが、この事件の詳しい事情は不明である(「石清水八幡宮文書目録」石清水文書)。康安二年(一三六二)一月一三日鴨祐泰に当庄「上司職」が安堵され(「後光厳天皇綸旨写」賀茂御祖皇大神宮諸国神戸記)、続く応安七年(一三七四)九月五日当庄公文職も安堵されたが(「後円融天皇綸旨」柳原家記録)、同月一二日には伊和の訴えによって鴨祐泰の「上司職」の所務押妨を停止しており(同綸旨)、社家の間に紛争があったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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