日本歴史地名大系 「三国渡」の解説 三国渡みくにのわたし 大阪府:大阪市淀川区蒲田村三国渡江戸時代、蒲田(かまた)村と新在家(しんざいけ)村の境と、豊島(てしま)郡菰江(こもえ)村(現豊中市)字三国とを結んだ能勢(のせ)街道(池田道)の神崎川(三国川)の渡し。「文徳実録」仁寿三年(八五三)一〇月一一日条に「摂津国奏言、長柄三国両河、頃年橋梁断絶、人馬不通、請准堀江川、置二隻船、以通済渡、許之」とみえる、かつて三国川に架かっていた橋は当渡辺りにあったとされている。その後、架橋されたかどうか不明であるが、「太平記」巻三八(和田楠与箕浦次郎左衛門軍事)に、正平一七年(一三六二)和田・楠木勢が神崎川橋詰より「廿余町上ナル三国ノ渡」を渡り、敵を追ったことが記され、当時橋がなかったことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報