三富城跡(読み)みとめじようあと

日本歴史地名大系 「三富城跡」の解説

三富城跡
みとめじようあと

[現在地名]清水町三留

三留の北東五位(ごい)山(六〇メートル)上にある三富景冬の城跡。北西麓は字御城垣内(ごじようがいち)で、館跡は城の西方志津(しづ)川東岸字宮越(みやごし)にあり、通称を御城垣内(おしろがいち)という。三富景冬は、心月寺本「朝倉始末記」所収朝倉系図によると織田(おた)城(跡地は織田町)の城主朝倉景儀の嫡男で、朝倉孝景の孫にあたり、三留村に居館したため三富を姓とし、弘治元年(一五五五)加賀で戦死した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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