三富(読み)さんとめ

  • さんとみ
  • みとみ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

埼玉県南部,武蔵野台地北部の地域で上 (かみとめ) ,中富 (なかとめ) ,下富 (しもとめ) の3つの新田集落総称。上富は三芳町,中富・下富は所沢市に属する。近隣 29ヵ村の入会地であったが,元禄7 (1694) 年,川越藩主柳沢吉保の命により開拓台地は地下水が深いので,12ヵ所の共同井戸から飲料水を得,上富 143戸,中富 48戸,下富 50戸が入植。6間の道路沿いに間口 40間,奥行 375間,面積5町歩の短冊形の一区画を一戸分とし,道路に面して宅地,畑,山林の順に土地利用を配列。江戸時代の新田集落の典型で県指定の史跡
山梨県北東部,山梨市北部の旧村域。秩父山地笛吹川最上流域を占める。北境に国師ヶ岳甲武信ヶ岳などの秩父山地の主峰がそびえ,笛吹川の谷沿いに秩父往還 (国道 140号線) が通じ,集落と温泉がある。 1889年村制。 2005年山梨市,牧丘町と合体して山梨市となった。 1889年の2村1地区合体の際,その3地区の富栄を願ったのが地名の由来。観光業が主産業で,西沢渓谷乾徳山などの景勝地がある。甲武信ヶ岳,雁坂峠への登山道が通るため,民宿も多い。多目的の広瀬ダムもある。秩父多摩甲斐国立公園に属する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山梨県北部、東山梨郡にあった旧村名(三富村(むら))。現在は山梨市の北部を占める一地区。旧三富村は2005年(平成17)山梨市に合併。笛吹川(ふえふきがわ)最上流に位置する。旧村域の総面積の96%が山林で、かつては林業を主体とし養蚕を従とする生活であったが、ともに衰退し、近年は果樹栽培、観光事業に力を入れている。西沢、東沢の渓谷、乾徳(けんとく)山(2031メートル)、1974年(昭和49)完成した広瀬ダムによる堰止(せきとめ)湖などがあり、保養地として川浦温泉がある。民宿を営む農家も多く、観光によって過疎化を防ごうとする努力がなされている。国道140号が笛吹川に沿って通じる。[横田忠夫]

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 江戸時代、江戸で最も盛大に興行された三か所の富くじ。谷中の感応寺、湯島の天神、目黒の滝泉寺のものをいう。江戸三富。
姓氏の一つ。

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世界大百科事典内の三富の言及

【感応寺】より

…現在の山寺号に改称したのは,1833年(天保4)のことである。感応寺は江戸の富くじ興行で有名となり,湯島天神,目黒不動とともに江戸の三富と呼ばれた。また,当寺にあった五重塔は幸田露伴の《五重塔》のモデルとして知られる。…

【富くじ(富籤)】より

…【増川 宏一】
[日本]
 富くじの起源は室町時代に求められるが,江戸時代に入って盛んとなり,富突(とみつき)または突富と称し,江戸,京都,大坂の三都では社寺の再建や修理などに際して富くじ興行が見られた。摂津箕面の弁才天,大坂の太融寺,京都御室の仁和寺の富くじ興行は有名であり,江戸では谷中の感応寺,目黒の滝泉寺,湯島の天神を江戸の三富(さんとみ)と称した。江戸幕府は寛永期(1624‐44)ころからこれを公認した。…

※「三富」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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