三崎庄・海上庄(読み)みさきのしよう・うなかみのしよう

日本歴史地名大系 「三崎庄・海上庄」の解説

三崎庄・海上庄
みさきのしよう・うなかみのしよう

現銚子市・海上かいじよう飯岡いいおか町と旭市の一部にわたる地域に比定される。治承四年(一一八〇)五月一一日の皇嘉門院惣処分状(九条家文書)に「しもつさ みさき」とみえ、皇嘉門院聖子から九条兼実の長子良通に伝領された。これ以前藤原忠通の時に最勝金剛さいしようこんごう(跡地は現京都市東山区)に寄進された院領の一つ(建長二年一一月日「九条道家初度惣処分状」同文書)。文治二年(一一八六)二月の関東知行国乃貢未済庄々注文(「吾妻鏡」同年三月一二日条)には殿下御領として三崎庄がみえるが、この注文は九条家領と近衛家領の区別が厳密ではなく、やはり九条家領であったと思われる。当庄の在地領主職は海上与一を名乗った平常衡から常幹・常春(常晴)へと父子相伝されたが、文治元年常春は佐竹義政に同心して源頼朝に謀反を企てたとして幕府に没収され、千葉介常胤に与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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