日本歴史地名大系 「三条高倉宮跡」の解説 三条高倉宮跡さんじようたかくらのみやあと 京都市:中京区日彰学区菱屋町三条高倉宮跡鳥羽天皇皇后藤原璋子(待賢門院)の御所。「台記」久安元年(一一四五)八月二二日条に「酉剋待賢門院崩、三条高倉第上皇、先之坐同所、病急告法皇即幸臨終、法皇打磬哭泣、然後群臣哭、或曰法皇不待使者、自然臨幸云々」と、璋子の死と鳥羽法皇・崇徳上皇らの悲嘆の様子を伝える。「坊目誌」は、「一京程図」をもとに、三条大路南、高倉小路西、六角小路西、東洞院大路北の方一町とするが、「拾芥抄」東京図には記載がなく、一応上記の比定に従うならば、現在の菱屋(ひしや)町南側・丸屋(まるや)町西側・滕屋(ちきりや)町北側・三文字(さんもんじ)町東側の方一町となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by