三根公方屋形(読み)みねくぼうやかた

日本歴史地名大系 「三根公方屋形」の解説

三根公方屋形
みねくぼうやかた

三根公方と称された少弐氏が居館にしたといい、三根の中村なかむらに置かれたとされるが、跡地未詳。永享五年(一四三三)八月、幕府より追討を受けた少弐満貞は大内持世に敗れ自刃して果てた。その子の嘉頼と教頼は対馬に落ち、宗貞盛に迎えられた。対馬の地頭代宗氏は本来惟宗と称し、武藤氏の被官として筑前にも所領を有していた関係から、少弐氏と一蓮托生の関係にあった。貞盛は嘉頼を厚く遇し、三根に屋形を構えたので三根公方と称されたという。同七年嘉頼は九州の回復を図り、兵を率いて筑前に出撃したが再び敗退、島に帰って同一三年に対馬で没した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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