20世紀日本人名事典 「三橋喜久雄」の解説 三橋 喜久雄ミハシ キクオ 大正・昭和期の体育指導者 三橋体育研究所長;日本オリンピック協会常務理事。 生年明治21(1888)年 没年昭和44(1969)年9月24日 出身地鳥取県 学歴〔年〕鳥取師範学校〔明治40年〕卒 経歴母校(鳥取師範学校)の体育教師を勤めた後、大正5年東京高等師範助教授となる。文部省より研究員として3年間欧米留学し、帰国後は同校教授。昭和3年三橋体育研究所を創設し所長となり、デンマーク体操を基本とする「生命体操」を創案し、その普及に努めた。著書に「体育即生活論」「生命体操の理論と実際」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三橋喜久雄」の解説 三橋喜久雄 みはし-きくお 1888-1969 大正-昭和時代の体育指導者。明治21年10月20日生まれ。母校鳥取師範の教諭をへて,大正3年永井道明(どうめい)にまねかれ,東京高師助教授となる。14年教授にすすむが同年退職。昭和2年三橋体育研究所を設立,スウェーデン体操を改良した「生命体操」を創案して普及につとめた。日本オリンピック協会常務理事。昭和44年9月24日死去。80歳。鳥取県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by