文部省(読み)モンブショウ

デジタル大辞泉 「文部省」の意味・読み・例文・類語

もんぶ‐しょう〔‐シヤウ〕【文部省】

学校教育社会教育・学術・文化などに関する行政事務を担当した国の行政機関。明治4年(1871)設置、平成13年(2001)科学技術庁とともに文部科学省になった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「文部省」の意味・読み・例文・類語

もんぶ‐しょう‥シャウ【文部省】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 藤原仲麻呂執政時代の天平宝字二年(七五八)に、官名を唐風に改称した時、式部省を改称したもの。同八年仲麻呂の失脚とともに旧に復した。
    1. [初出の実例]「改易官号〈略〉式部省惣掌文官考賜、故改為文部省」(出典:続日本紀‐天平宝字二年(758)八月甲子)
  3. 学術・教育・文化・学校などに関する事務を担当した国の行政機関。外局に文化庁、付属機関として日本芸術院・国立博物館国立国語研究所などが置かれた。平成一三年(二〇〇一中央省庁改革に際し、科学技術庁と統合され文部科学省となった。
    1. [初出の実例]「今般大学を廃せられ文部省を置れたり」(出典:新聞雑誌‐八号・明治四年(1871)七月)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「文部省」の意味・わかりやすい解説

文部省
もんぶしょう

国家行政組織法(昭和23年法律120号)に基づき、文部省設置法によって設置された国の行政機関。学校教育、社会教育、学術および文化の振興および普及を図ることを任務とし、これらの事項および宗教に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負っていた。2001年(平成13)1月の中央省庁再編で、科学技術庁と統合して文部科学省となった。

[福家俊朗・山田健吾]

沿革

もっぱら教育行政を担当する機関として1871年(明治4)に太政官布告により設置され、近代的な学校制度を整備していった。各省官制の一部としての文部省官制(1886)によってその組織および権限が整備された文部省は、中央集権的な中央教育行政機関としてその権限は絶大であり、学校教育・社会教育の国家統制を教育内容・監督行政の両側面から行った。そこでは、戦時における軍国主義的教育政策にみられるように、教育は、教育勅語の「忠君愛国イデオロギーに基づく国民教化のための手段とみなされていた。第二次世界大戦後の改革により、理念としての教育の自主性および地方自治の原理に従って、戦後教育の民主化を推進するにふさわしい中央教育行政機構としてその新しい組織と指導・助言を中心とした任務が明確化されたが、憲法・教育基本法制が体現するこの基本理念の空洞化現象(教科書検定・任命教育委員会制の実施等)や文部省の権限強化が問題視されていた。

[福家俊朗・山田健吾]

組織と機能

本省には内部部局として大臣官房のほか、初等中等教育局、教育助成局、高等教育局、学術国際局、生涯学習局、体育局の6局が置かれていた。文部大臣の所轄の下に、国立学校のほか、特別の機関として日本ユネスコ国内委員会や日本学士院が置かれ、施設等機関として、国立教育研究所、国立特殊教育総合研究所、国立科学博物館国立天文台などが置かれていた。また、中央教育審議会理科教育及び産業教育審議会、教育課程審議会、教科用図書検定調査審議会などの各種審議会が置かれた。初等中等教育局は、初等中等教育の振興に関し、企画し、および援助を与えること、初等中等教育の基準の設定に関すること、および教科書の検定に関すること等を担当し、教育助成局は、地方教育行政に関する制度について企画し、ならびに地方教育行政の組織および一般的運営に関し、指導・助言および勧告を与えること等の事務を担当した。高等教育局は、大学および高等専門学校の設置、廃止の認可をはじめ、大学教育および高等専門教育の基準設定、文部大臣がその所轄庁である学校法人の認可・認定などの事務を担当した。学術国際局は、学術の振興に関し、企画し、および援助と助言を与えることをはじめ、教育、学術または文化の振興および普及にかかる国際交流に関する事務を担当し、生涯学習局は、社会教育の振興に関し、企画し、および援助と助言を与えること、体育局は、体育、学校保健、学校給食の普及充実などの企画・指導などの事務を担当した。施設等機関として国立大学をはじめとする国立学校や国立科学博物館などが、外局として文化庁が、特別の機関として日本学士院などが置かれていた。

 2001年以降、内部部局に関しては、大臣官房の主要な機能は、文部科学省の大臣官房に引き継がれ、生涯学習局については大臣官房の一部の組織とともに、文部科学省の生涯学習政策局やスポーツ・青少年局に引き継がれ、また、初等中等教育局と教育助成局が統合され初等中等教育局に再編された。高等教育局については文部科学省の高等教育局にそのまま引き継がれた。学術国際局については文部科学省の科学技術・学術政策局、研究振興局、高等教育局などに、体育局については文部科学省のスポーツ・青少年局に引き継がれた。国立学校等の施設等機関や日本学士院等の特別の機関は、それぞれ文部科学省に引き継がれ、文化庁は文部科学省の外局としてそのまま引き継がれた。

[福家俊朗・山田健吾]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「文部省」の意味・わかりやすい解説

文部省 (もんぶしょう)

中央教育行政機関。学校教育,社会教育,学術および文化の振興と普及を図ることを任務とし,これらの事項および宗教に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関であり,その長が文部大臣である。現行法制においては,教育基本法(1947)10条(教育行政)が定めるように,教育への不当な支配を行わず,教育の目的を遂行するに必要な条件整備を行うことが目標とされている。このため,主として教育に対する専門的・技術的指導助言と財政的・物質的な援助を与えることとされている。とくにその権限行使にあたって,原則的に,行政上および運営上の監督を行わないと法定されている(文部省設置法6条2項)。

1871年(明治4),今日の内閣にあたる太政官制にもとづいて設置されていた〈大学〉が,教育機関としての側面のほかに備えていた教育行政の役割を独立させて,文部省は設置された。当初,文部省の長は文部卿で,〈全国ノ人民ヲ教育シテ其道ヲ得セシムルノ責ニ任ス〉とされた。85年,内閣制度が創設され,初代の文部大臣として森有礼が就任し,小学校令や帝国大学令の公布などの学制改革を行い,近代的な学校制度を整備していった。翌年の文部省官制で,文部大臣は〈教育学問ニ関スル事務ヲ管理〉することとされた。これは,1913年に〈教育,学芸及宗教ニ関スル事務ヲ管理ス〉と改められた。発足直後から,督学・視学が学事の視察や監督にあたったように,文部省はたんなる教育行政の事務機関ではなく,当初から全国の学校教育および社会教育を支配する集権的権能(1934年に思想局,37年に教学局を設置)を有し,この絶対主義的官僚機構はしだいに強化されていった。教育内容の決定とその監督行政は国家事務として文部省が掌握し,国家統制を行った。日中戦争から太平洋戦争にかけては,《国体の本義》(1937),《臣民の道》(1941)を編集・刊行して国体思想を鼓吹したように,一貫して軍国主義的・超国家主義的教育政策を遂行した。

 敗戦直後から文部省の戦争責任を追及する声が高まり,文部省を廃止し,代わって中央教育委員会を置くという改革案が政府審議会からも提起された。こうした動向を反映して,前田多門(1884-1962)文部大臣の登場以後,占領期においては8人の学者文相がつづいた。1949年文部省設置法によって存続が決まった文部省は,機構を簡素化し,〈戦後の教育の民主化を推進するにふさわしい中央教育行政機構〉をめざし,〈従来の中央集権的監督行政の色彩を一新して教育学術文化のあらゆる面について指導助言を与え,またこれを助長育成する機関〉として再出発した。しかし,52年の文部省初等中等教育局の権限強化,翌年の文部大臣の教科書検定権の明記(教科書検定制度),56年の任命制教育委員会の発足にともなう文部大臣の措置要求権や都道府県教育長任命の承認権などの法改正にみられるように,再びその権限を回復するとともに,指導監督的な性格を強めた。同時に文部省の文教施策の重点は,1950年代からの教育課程・教科書の統制と学校管理の強化,60年代からの能力主義教育政策と学校制度多様化などにみられる。教育の自主性や教育の地方自治,さらには教育行政の政治的中立性の見地から,文部省のあり方はさまざまな問題をかかえている。このため90年代に入り,文部大臣の教育長任命承認権の見直しなど,規制暖和や分権重視の施策が検討されている。

本省と外局である文化庁から構成されている。本省には内部部局として大臣官房のほか生涯学習,初等中等教育,教育助成,高等教育,学術国際,体育の6局,施設等機関として国立大学などの国立学校,国立教育研究所,国立特殊教育総合研究所,国立科学博物館,日本ユネスコ国内委員会,日本学士院があり,審議会として中央教育審議会をはじめ,大学,大学設置・学校法人,教育課程,教科用図書検定調査,教育職員養成,学術などの各審議会を設けている。文化庁には長官官房のほか文化部,文化財保護部があり,施設等機関として国立国語研究所,国立博物館,国立近代美術館,国立西洋美術館,国立国際美術館,国立文化財研究所,日本芸術院など,審議会として宗教法人,文化財保護,国語,著作権の各審議会がある。2001年の省庁再編により,科学技術庁と統合されて文部科学省となった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「文部省」の意味・わかりやすい解説

文部省【もんぶしょう】

旧省名。学校教育,社会教育,学術・文化の振興・普及を主管する中央行政機関。1871年設置。宗教行政もその所管に属する。施設・機関として,国立大学,国立歴史民俗博物館国立教育研究所国立科学博物館等があった。外局に文化庁があり,その施設・機関として国立国語研究所国立博物館国立西洋美術館日本芸術院等があった。他に中央教育審議会,国語審議会などの審議会があった。中央省庁等改革基本法により2001年から科学技術庁と統合されて〈文部科学省〉となった。
→関連項目学習指導要領環境経済学教育行政大学審議会大学設置審議会中央教育審議会

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文部省」の意味・わかりやすい解説

文部省
もんぶしょう

国家行政組織法および文部省設置法に基づき設置された国の行政機関。学校教育,社会教育,学術および文化の振興ならびに普及をはかることを任務とし,これらの事項および宗教に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う。明治4 (1871) 年全国の教育事務を総管する機関として創設され,日本の近代教育の発展に重要な役割を果したが,また中央集権的な性格のきわめて強い行政機関であった。第2次世界大戦後は根本的な改革が行われ,従前の命令監督行政に代って,全国的な企画と指導助言,援助などの行政機関として再出発した。その後教育水準の維持向上,そのための全国的な教育基準の設定,教育財政の保障などの観点から,文部省の権限強化の傾向がみられる。文部大臣を長とし,大臣官房および生涯学習局,初等中等教育局,教育助成局,高等教育局,学術国際局,体育局の6局がおかれたほか,中央教育審議会などの審議会,国立学校,日本学士院,日本芸術院などの特別の機関,国立教育研究所などの施設等機関,外局として文化庁が設置された。 2001年1月省庁再編により科学技術庁と統合され文部科学省となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「文部省」の解説

文部省
もんぶしょう

近代において教育行政を統轄する中央官庁。1871年(明治4)太政官の一省として設置。初代文部卿は大木喬任(たかとう)。学制の公布など西洋風の学校教育制度の導入にあたる。85年内閣制度の確立により内閣の一省となった。86年文部省官制が制定され,大臣官房および総務・学務(のち普通学務・専門学務の2局に分割)・編輯(へんしゅう)・会計の各局を設置。森有礼(ありのり)文部大臣のもとで,一連の学校令の制定など中央集権的な教育行政を推進。明治後期~昭和初期に図書・宗教・社会教育・思想などの諸局が新設・統廃合された。第2次大戦後,教育の地方分権化・自由化・民主化が進められて文部省の中央集権的教育統制は弱められ,教育・学術・文化への指導・助言を中心とする行政官庁に改編された。2001年(平成13)1月,中央省庁再編により科学技術庁と統合して文部科学省となる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「文部省」の解説

文部省
もんぶしょう

教育行政を担当する中央官庁
1871年設置。文部省を主管する初代文部卿に大木喬任 (たかとう) ,'85年,初代文部大臣は森有礼。中央集権的教育制度のもとに,日本の教育・学術・文化を管掌し,その振興と普及を推進した。敗戦後,教育の民主化により教育行政も教育委員会が行い,文部省は指導・助言の機関とされた。外局として文化庁があり,国立博物館・日本芸術院などを管轄し,文化財保護行政を行う。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の文部省の言及

【式部省】より

…ついで731年(天平3)11月,これまで式部省が扱っていた武官庁の医師や左・右馬監の帯杖する馬医の評定・叙位,武官の解任にかかわる職務を兵部省に移管したのは,8世紀初めごろの式部省の人事範囲が広かったことを示している。また唐名を吏部(りほう)とよび,758年(天平宝字2)8月から764年9月まで,唐風に文部(ぶんぶ)省と改称された。広く文官全般の人事関係を取り扱う職責の重さから,卿には,のちに政府首班の座についた長屋王,藤原武智麻呂(むちまろ),同仲麻呂,同是公や,政界に実権を振るった藤原百川(ももかわ),同種継など,有力官人が就任した例が多い。…

【教育行政】より

…中央・地方の公権力が教育政策の実現をめざして教育事業を組織し運営する日常的な活動をいう。日本を例にとれば,文部省教育委員会などの教育行政機関が一定の法律や条例にもとづいて行う教育計画の策定,学校などの教育施設の設置・管理,教職員の養成・採用・管理,教育課程の基準の策定,教科書の検定・採用,教育予算案の作成と執行などの諸活動をいう。教育行政という社会的機能は,歴史的にみれば公権力がなんらかの形で教育事業に関与することにより生まれたが,公行政の一分野として近代的な教育行政の機構と機能が確立するのは,国民教育制度が組織される時期である。…

【文化庁】より

…文化の振興および普及,文化財の保存および活用を図るとともに,宗教に関する国の行政事務を行うことを任務とする文部省の外局。1968年文部省文化局と外局の文化財保護委員会を統合して創設された。…

※「文部省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android