日本歴史地名大系 「三段池」の解説
三段池
さんだんいけ
享保(一七一六―三六)以前と思われるが、池の堤防が決壊したことがあったらしく、永代録綱目実記(塩見家蔵)は次のように記す。
長い年月の間には池の樋も腐朽したらしく、度々これを伏せ替えている。同書に「天明二年丑冬より取掛り掘上、村人足ニ而樋臥せ、明之寅春郷人足ニ而土居築申候」「文久二壬戌年二月ころより大池とゆへ水出る、ぬきをなしニて干す、立樋より出也、立ひ老朽て水出る、大工太十郎なをす、三月中ころよりためる」「同四月六日あさ五ツ時より又水出だス、其日石元喜代助と曰ふ人たみ尺八改、これことなし、よく日戸田村川と堀村喜代八、右三人立樋改、上ニ五六寸程の朽穴あキ、其穴ヘ大竹をたて、それをあて蒲団三丈巻椶櫚つなまき付、水出をとめる」などとあり、村人がいかにこの池に頼り、用水保持に気を遣ったかがうかがえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報