日本歴史地名大系 「三河町一丁目」の解説 三河町一丁目みかわちよういつちようめ 東京都:千代田区旧神田区地区三河町一丁目[現在地名]千代田区内神田(うちかんだ)一丁目神田橋(かんだばし)御門外に位置する町屋で南北に延びる両側町。南は道を挟んで神田橋から常盤(ときわ)橋の間の外堀、東は鎌倉(かまくら)町、西は養安院(ようあんいん)屋敷と勘定奉行役宅、北は三河町二丁目。天正一八年(一五九〇)家康入国の折、三河国出身者に与えられた町として三河町と名付けられたという(東京府志料)。寛文新板江戸絵図に三河町一―四丁目がみえ、「新小田原丁トモ」と記される。肴店があったという(御府内備考)。なお寛永江戸図には新小田原町とみえる。寛政一一年(一七九九)の火災ののち南側が拡幅されたが、道を挟んだ西側の養安院屋敷の一部が町地となったため、この部分も両側町となる(沿革図書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by