日本歴史地名大系 「三津田城跡」の解説 三津田城跡みつたじようあと 兵庫県:三木市三津田村三津田城跡[現在地名]三木市志染町三津田山田(やまだ)川と淡河(おうご)川の合流点の南東山上にある。暦応二年(一三三九)島津忠兼は赤松則祐とともに南朝方の拠点となっていた淡河・岩峰(石峯寺、現神戸市北区)、三田(みつた)(三津田)城を攻めている(同年一〇月九日「島津忠兼軍忠状」越前島津家文書)。文明一七年(一四八五)滝野光明(たきのこうみよう)寺(現滝野町)に陣した赤松政則は山名政豊方攻撃のため三津田から東条(とうじよう)谷の小田(おだ)(現小野市)へ兵を進めている(年月日未詳「光明寺由緒覚書写」光明寺文書)。天文八年(一五三九)閏六月別所村治は有馬湯山(ありまゆのやま)城(現神戸市北区)を夜襲するが(同月六日「別所村治感状」飯尾文書)、当城はその経路上に位置しており、別所氏の支配下にあったと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by