島津忠兼(読み)しまづ ただかね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津忠兼」の解説

島津忠兼(1) しまづ-ただかね

?-? 南北朝時代武将
越前家島津氏。播磨(はりま)(兵庫県)揖保荘(いぼのしょう)の地頭。元弘(げんこう)の乱では足利尊氏の軍にくわわる。建武(けんむ)3=延元元年(1336)以降は,北朝方として播磨守護の赤松則村(のりむら)のもと軍功をたてた。初名は忠能(ただよし)。

島津忠兼(2) しまづ-ただかね

?-1565 戦国時代の武将。
薩摩(さつま)(鹿児島県)山門院野田領主。新納(にいろ)忠元に兵学をまなび,剣術にすぐれる。永禄(えいろく)8年天草領長島を攻略して島津領としたが,讒言(ざんげん)により兄島津実久(さねひさ)の子義虎に殺されたという。別名に近久。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の島津忠兼の言及

【薩摩国】より

…旧国名。薩州。鹿児島県西半部。
【古代】
 西海道に属する中国(《延喜式》)。大隅国と同じく日向国より分出し,合わせて南九州の三国,奥三州などと呼ばれた。《日本書紀》白雉4年(653)7月条に〈薩麻之曲竹島之間〉とみえ,《続日本紀》大宝2年(702)8月条に薩摩・多褹(たね)を征討し,戸を校(かんが)え吏を置く,10月条に唱更(はやひと)国司の言上で国内の要害に柵を建て兵を置くとあり,その説明に唱更国とは今の薩摩国府なりとあることから,このころ薩摩国は日向国より分出設置されたと思われる。…

※「島津忠兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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