日本歴史地名大系 「三濃山村」の解説 三濃山村みのうさんむら 兵庫県:相生市三濃山村[現在地名]相生市矢野町三濃山(やのちようみのうさん)能下(のうげ)村の北、矢野川の源流三濃山(五〇八・六メートル)の山頂から南側斜面に立地する山間の村。同山にあった三濃山求福教(ぐふくきよう)寺(三野寺)を中核に東谷(ひがしだに)・西谷集落があった。中世の矢野庄の北端にあったことから下地中分の基準点とされ、正安二年(一三〇〇)一月二五日、「楢尾峯、須久爾通テ、三野寺之観音堂正面」を結ぶ線の東は地頭分、西は領家分となった(「地頭・領家山分帳案」東寺百合文書)。江戸時代の領主の変遷は下頃(けごろ)村に同じ。正保郷帳に村名がみえ、高二五石余(田方のみ)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by