三田谷啓(読み)サンダヤ ヒラク

20世紀日本人名事典 「三田谷啓」の解説

三田谷 啓
サンダヤ ヒラク

大正・昭和期の社会事業家 大阪市社会局児童課長。



生年
明治14(1881)年9月1日

没年
昭和37(1962)年5月12日

出身地
兵庫県

学歴〔年〕
大阪府立高等医学校(現・大阪大学)卒

経歴
知的障害児のための治療教育学を富士川游に学ぶ。大正7年大阪市社会局児童課長となり、児童相談所などを創設した。9年月刊誌「母と子」を創刊。昭和2年芦屋に三田谷治療教育院を開き、4年日本母の会を設立著書に「治療教育学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三田谷啓」の解説

三田谷啓 さんだや-ひらく

1881-1962 大正-昭和時代の教育者。
明治14年9月1日生まれ。知的障害児のための治療教育学を富士川游(ゆう)にまなぶ。大正7年大阪市社会局児童課長となり,児童相談所などを創設,9年には月刊誌「母と子」を創刊した。昭和2年芦屋に三田谷治療教育院をひらき,4年日本母の会を設立。13年現在の翠丘(みどりがおか)小学校をひらいた。昭和37年5月12日死去。80歳。兵庫県出身。大阪府立高等医学校(現阪大)卒。著作に「治療教育学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android