三離村(読み)みちやーりむら

日本歴史地名大系 「三離村」の解説

三離村
みちやーりむら

[現在地名]竹富町古見こみ

古見くん村の小村前良まいら河口に位置し、東三離・西三離の小字が残る。両島絵図帳に「ミつ離村」とみえ、高四八八石余で古見くん間切の内。崇禎元年(一六二八)の三間切制移行時の書上(八重山島年来記)に村名はみえず、石垣いしやなぎい間切古見村に属したとみられ、「琉球国由来記」に三離みちやーり御嶽は古見村の御嶽とある。乾隆二年(一七三七)の調査報告(参遣状)によると古見村の小村で、村回り一〇町四八間、人口二六〇人、古見村番所があった。明治六年(一八七三)の戸数一〇・人口三四(「八重山取調書」祭魚洞文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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