上ヶ原新田(読み)うえがはらしんでん

日本歴史地名大系 「上ヶ原新田」の解説

上ヶ原新田
うえがはらしんでん

[現在地名]西宮市上(うえ)ヶ原一番町(はらいちばんちよう)・上(うえ)ヶ原二番町(はらにばんちよう)・上(うえ)ヶ原三番町(はらさんばんちよう)・上(うえ)ヶ原四番町(はらよんばんちよう)・上(うえ)ヶ原五番町(はらごばんちよう)・上(うえ)ヶ原六番町(はらろくばんちよう)・上(うえ)ヶ原七番町(はらしちばんちよう)・上(うえ)ヶ原八番町(はらはちばんちよう)・上(うえ)ヶ原九番町(はらきゆうばんちよう)・上(うえ)ヶ原十番町(はらじゆうばんちよう)・上(うえ)ヶ原山田町(はらやまだちよう)・上(うえ)ヶ原山手町(はらやまてちよう)・門戸西町(もんどにしまち)・上甲東園(かみこうとうえん)三丁目

門戸村の西、甲(かぶと)山南東麓の洪積台地に開発された武庫(むこ)郡の新田村。正徳二年(一七一二)の上ヶ原新田開発明細帳(西宮市立郷土資料館蔵)によると、慶安(一六四八―五二)頃、西成(にしなり)郡佃(つくだ)村(現大阪市西淀川区)の住人孫右衛門・九左衛門が尼崎藩主青山幸利の許可を得て、広田(ひろた)村北域の台地の開発を手掛け、承応元年(一六五二)に村立てしたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む