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広田神社 ひろたじんじゃ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

広田神社
ひろたじんじゃ

兵庫県西宮市大社町に鎮座する元官幣大社。ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメノミコト (アマテラスオオミカミの荒魂) を主神とし,スミノエノオオミカミ,ヤワタノオオカミ,スワタケミナカタノカミ,タカミムスビノカミを祀る。

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デジタル大辞泉の解説

ひろた‐じんじゃ【広田神社】

兵庫県西宮市にある神社。旧官幣大社。祭神は天照大神荒魂(あらみたま)である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)。和歌に霊験ある神として信仰された。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

広田神社【ひろたじんじゃ】

兵庫県西宮市大社町に鎮座。旧官幣大社。天照大神の荒魂(あらみたま)をまつる。神功(じんぐう)皇后の三韓出兵に際し,和魂(にぎみたま)は神功皇后の身体を守り,荒魂は船路を守るとの託宣によって,遠征は成功したので,ここにまつったと伝える。
→関連項目橘御薗

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世界大百科事典 第2版の解説

ひろたじんじゃ【広田神社】

兵庫県西宮市大社町に鎮座。旧官幣大社。天照大御神荒魂(あらみたま)をまつる。《日本書紀》によると,神功皇后は外征より帰還の際,武庫の水門(むこのみなと)で,〈我が荒魂は皇居に近づくべからず,常に御心広田国に居ますべし〉との天照大神の神告をうけ,山背(やましろ)根子の娘葉山媛命をしてまつらせたと伝える。806年(大同1)で神封41戸があてられ,868年(貞観10)には従一位に昇叙された。《延喜式》では名神大社に列せられ,二十二社一つとして,しばしば奉幣勅使が発遣された。

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大辞林 第三版の解説

ひろたじんじゃ【広田神社】

兵庫県西宮市にある神社。祭神は天照大御神荒魂あまてらすおおみかみあらみたま。和歌に霊験ある神としても知られた。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

広田神社
ひろたじんじゃ

兵庫県西宮(にしのみや)市大社町に鎮座。祭神は天照大御神荒魂(あまてらすおおみかみあらみたま)を主神とし、第一脇殿(わきどの)に住吉(すみよし)大神、第二脇殿に八幡(はちまん)大神、第三脇殿に諏訪建御名方(すわたけみなかた)神、第四脇殿に高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)を祀(まつ)る。社伝によると、神功(じんぐう)皇后外征より凱旋(がいせん)の際、務古(むこ)の水門(みなと)(西宮沖)にきたとき、天照大御神の神誨(しんかい)「我(わ)が荒魂は皇居に近づくべからず。当(まさ)に御心広田の国に居らしむべし」があり、それにより山背根子(やましろねこ)の娘葉山媛命(はやまひめのみこと)を斎宮(さいくう)として祀ったという。806年(大同1)に神封41戸が献ぜられ、868年(貞観10)に従(じゅ)一位に叙せられた。『延喜式(えんぎしき)』神名帳に名神(みょうじん)大社で記載され、畿内(きない)二十二社の一社として尊崇され、しばしば奉幣勅使のあったことが記されている。とくに和歌に霊験ある神として信仰され、藤原俊成(しゅんぜい)筆の『西宮歌合(うたあわせ)』は有名。もとは甲山山麓(かぶとやまさんろく)の丘陵地にあったが、1724年(享保9)現在地に奉遷された。例祭3月16日。旧官幣大社。[加藤隆久]

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世界大百科事典内の広田神社の言及

【西宮[市]】より

…通称西宮えびす)にちなむ。西宮の名は,1119年(元永2)9月,源師時が広田社に参詣したときの《長秋記》の記事に〈西宮社〉に奉幣したことがみえ,また藤原頼長の《台記(たいき)》の康治元年(1142)正月19日条に,広田社の内と思われる〈西宮宝殿〉が記されているのが古い史料で,もと武庫郡の式内社広田神社の摂社と考えられる。《仲資王記》の建久5年(1194)7月18日条によると,広田社には〈末社戎宮〉があり,また元久元年(1204)8月10日条に同社の〈戎三郎社〉がみえるが,鎌倉時代以降,福徳神・商業神としての〈戎神〉の信仰が盛んになるにつれて,この戎社が広田社から離れて発展し,〈西宮のえびす三郎殿〉として上下の信仰を集め,《伊呂波字類抄》や《簾中抄》では,広田社そのものが〈西宮〉と呼ばれるに至る。…

【武庫】より

…大阪湾をはさんで難波津の対岸にあたるので〈向こう〉が武庫の語源であるといい,また神功皇后が兵具をおさめたことから名が起こったともいわれる。武庫川は上流の杣山(そまやま)から木材を伐採して流すのに利用され,郡内にある広田神社は山手(入山料)と率分(そつぶん)(武庫川の関料)を徴収していたが,上流の開発が進むに従いこの徴収が困難となり,11世紀には神人(じにん)と近辺住人との間に相論が頻発している。一方,武庫泊の史料上の初見は,神功皇后が難波に向かったが船が進まず〈務古水門(むこのみなと)〉に戻ったという《日本書紀》の記載で,応神31年条には500艘の船を武庫水門に集めたともみえる。…

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