広田神社(読み)ヒロタジンジャ

デジタル大辞泉 「広田神社」の意味・読み・例文・類語

ひろた‐じんじゃ【広田神社】

兵庫県西宮市にある神社。旧官幣大社。祭神は天照大神荒魂あらみたまである撞賢木厳之御魂天疎向津媛命つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと。和歌に霊験ある神として信仰された。

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精選版 日本国語大辞典 「広田神社」の意味・読み・例文・類語

ひろた‐じんじゃ【広田神社】

  1. 兵庫県西宮市大社町にある神社。旧官幣大社。主祭神は天照大御神荒魂(あまてらすおおみかみあらみたま)神功皇后が山背根古の女(むすめ)葉山媛(ひめ)に創祀させたと伝えられる。和歌に霊験ある神としてしばしば社頭で歌合が行なわれた。二十二社の一つ。

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日本歴史地名大系 「広田神社」の解説

広田神社
ひろたじんじや

[現在地名]西宮市大社町

南流する御手洗みたらし川が平地部にかかる地点の右岸、広田山の東麓に鎮座。社頭から南に約一〇〇メートルの松樹の参道が延び鳥居が建つ。古代の山陽道は中世末頃まで現上大市かみおおいち付近で武庫むこ川を渡り、南西方向に直進してこの鳥居前から越水こしみずに至り、芦屋へと向かっていた。鎮座地については数度の変遷があったようで、江戸時代の「広田西宮参詣独案内」に「六軒新田の上高隈原と申は昔広田大神鎮座の地なり」とあり、御手洗川左岸の現六軒ろつけん町の東、高隈たかくま原とよばれた高台が最初の社地であったようである。応安四年(一三七一)に九州探題となって下向した今川貞世の「道ゆきぶり」には「川づらにそひて木ふかく物ふりたる山あり、鳥居たてり。そのあたりの人に尋侍れば、これは昔足姫のもろこしの三の国したがへたまひかへりたまひける時、この山によろひかぶとなどうづみ給けるより、やがて武庫の山と申となん」とみえる。近世までには御手洗川右岸に移転したようで、貞享三年(一六八六)の広西両宮絵図(社蔵)では境内の北と東を同川がめぐっている。しかし川に土砂が堆積して水害が懸念されたため、宝永六年(一七〇九)に社地移転の議が起こり、享保九年(一七二四)南方約一五〇メートルの西山にしやまの高台に遷座し(社蔵棟札)、第二次世界大戦後、下方の現在地に移転した。旧官幣大社。

〔草創〕

「日本書紀」神功皇后摂政元年二月条によると、神功皇后が三韓遠征の帰途、「我が荒魂をば、皇后に近くべからず。当に御心を広田国に居らしむべし」という天照大神の教えを受け、山背根子の女葉山媛を祭主として広田の地に奉祭させたのに始まるという。またこの時、生田いくた(現神戸市中央区)長田ながた(現同市長田区)・住吉社(現大阪市住吉区)も同時に鎮座せしめたので、皇后の船は無事航海できたという。これをそのまま史実とみるわけにはいかないが、いずれの社も海上交通の盛んな瀬戸内海の港津近くにあり、早くから航海神・港神として崇敬を集めていたと考えられる。「摂津国風土記」逸文(本朝神社考)には、現西宮市前面の海浜を広田社の御前浜おまえのはま御前澳おまえのおきといったとあり、広田社は古くから一帯の海上支配権を有したといわれる。なお山背根子については「新撰姓氏録」摂津国神別では山直の祖とされ、山直を山代直の誤記とみて、山代国造の一族が摂津西部へ勢力を伸張していたとする説もある。

「延喜式」神名帳の武庫郡に「広田ひろたの神社名神大。月次相嘗新嘗」とあり、神階は嘉祥三年(八五〇)一〇月七日に従五位下(文徳天皇実録)、貞観元年(八五九)正月二七日に正三位に叙せられた(三代実録)


広田神社
ひろたじんじや

[現在地名]青森市長島二丁目

祭神天照皇大神荒魂。祭日六月二〇日。長徳年間(九九五―九九九)陸奥守藤原実方が蝦夷鎮撫のため当地へ来て「夷之社」を創建したという伝承をもつ。青森開港にあたって寛永二年(一六二五)奉行森山弥七郎が産土神として夷之社を毘沙門びしやもん(現香取神社)の社頭に移したという。ただし毘沙門堂は同一八年の造営であるから、春日社(明治四二年合併)が勧請された承応三年(一六五四)が正しいとする説がある(青森市史)。明和三年(一七六六)の大地震で拝殿・神楽殿が大破し、やなぎ町神明宮付近に移し、さらに天保二年(一八三一)柳町杉畑すぎはた(現中央一丁目)へ移った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「広田神社」の意味・わかりやすい解説

広田神社
ひろたじんじゃ

兵庫県西宮(にしのみや)市大社町に鎮座。祭神は天照大御神荒魂(あまてらすおおみかみあらみたま)を主神とし、第一脇殿(わきどの)に住吉(すみよし)大神、第二脇殿に八幡(はちまん)大神、第三脇殿に諏訪建御名方(すわたけみなかた)神、第四脇殿に高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)を祀(まつ)る。社伝によると、神功(じんぐう)皇后外征より凱旋(がいせん)の際、務古(むこ)の水門(みなと)(西宮沖)にきたとき、天照大御神の神誨(しんかい)「我(わ)が荒魂は皇居に近づくべからず。当(まさ)に御心広田の国に居らしむべし」があり、それにより山背根子(やましろねこ)の娘葉山媛命(はやまひめのみこと)を斎宮(さいくう)として祀ったという。806年(大同1)に神封41戸が献ぜられ、868年(貞観10)に従(じゅ)一位に叙せられた。『延喜式(えんぎしき)』神名帳に名神(みょうじん)大社で記載され、畿内(きない)二十二社の一社として尊崇され、しばしば奉幣勅使のあったことが記されている。とくに和歌に霊験ある神として信仰され、藤原俊成(しゅんぜい)筆の『西宮歌合(うたあわせ)』は有名。もとは甲山山麓(かぶとやまさんろく)の丘陵地にあったが、1724年(享保9)現在地に奉遷された。例祭3月16日。旧官幣大社。

[加藤隆久]

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改訂新版 世界大百科事典 「広田神社」の意味・わかりやすい解説

広田神社 (ひろたじんじゃ)

兵庫県西宮市大社町に鎮座。旧官幣大社。天照大御神荒魂(あらみたま)をまつる。《日本書紀》によると,神功皇后は外征より帰還の際,武庫の水門(むこのみなと)で,〈我が荒魂は皇居に近づくべからず,常に御心広田国に居ますべし〉との天照大神の神告をうけ,山背(やましろ)根子の娘葉山媛命をしてまつらせたと伝える。806年(大同1)で神封41戸があてられ,868年(貞観10)には従一位に昇叙された。《延喜式》では名神大社に列せられ,二十二社の一つとして,しばしば奉幣勅使が発遣された。和歌に霊験ある神として崇敬され,平安後期には社頭で歌合の行事が行われた。古来特殊神事として御狩神事があった。
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百科事典マイペディア 「広田神社」の意味・わかりやすい解説

広田神社【ひろたじんじゃ】

兵庫県西宮市大社町に鎮座。旧官幣大社。天照大神の荒魂(あらみたま)をまつる。神功(じんぐう)皇后の三韓出兵に際し,和魂(にぎみたま)は神功皇后の身体を守り,荒魂は船路を守るとの託宣によって,遠征は成功したので,ここにまつったと伝える。また中世には和歌に霊験ありとされ,社頭で歌合が行われた。延喜式内の名神大社。例祭は3月16日。特殊神事に御狩神事が行われていた。境内の摂社南宮神社は西宮えびすとして信仰される。
→関連項目橘御薗

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「広田神社」の意味・わかりやすい解説

広田神社
ひろたじんじゃ

兵庫県西宮市大社町に鎮座する元官幣大社。ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメノミコト (アマテラスオオミカミの荒魂) を主神とし,スミノエノオオミカミ,ヤワタノオオカミ,スワタケミナカタノカミ,タカミムスビノカミを祀る。例祭3月 16日。

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デジタル大辞泉プラス 「広田神社」の解説

広田神社〔兵庫県〕

兵庫県西宮市にある神社。延喜式内社。祭神は天照大御神荒魂(あまてらすおおみかみあらみたま)、住吉大神八幡大神、諏訪建御名方(すわたけみなかた)神、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)。甲山山麓にあったが、1724年現在地に移転。ツツジの名所。

広田神社〔青森県〕

青森県青森市にある神社。996年に陸奥守に任ぜられた藤原実方(さねかた)が、蝦夷鎮撫の目的で創建した「夷之社(えびすのやしろ)」が起源と伝わる。祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)など。

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世界大百科事典(旧版)内の広田神社の言及

【西宮[市]】より

…通称西宮えびす)にちなむ。西宮の名は,1119年(元永2)9月,源師時が広田社に参詣したときの《長秋記》の記事に〈西宮社〉に奉幣したことがみえ,また藤原頼長の《台記(たいき)》の康治元年(1142)正月19日条に,広田社の内と思われる〈西宮宝殿〉が記されているのが古い史料で,もと武庫郡の式内社広田神社の摂社と考えられる。《仲資王記》の建久5年(1194)7月18日条によると,広田社には〈末社戎宮〉があり,また元久元年(1204)8月10日条に同社の〈戎三郎社〉がみえるが,鎌倉時代以降,福徳神・商業神としての〈戎神〉の信仰が盛んになるにつれて,この戎社が広田社から離れて発展し,〈西宮のえびす三郎殿〉として上下の信仰を集め,《伊呂波字類抄》や《簾中抄》では,広田社そのものが〈西宮〉と呼ばれるに至る。…

【武庫】より

…大阪湾をはさんで難波津の対岸にあたるので〈向こう〉が武庫の語源であるといい,また神功皇后が兵具をおさめたことから名が起こったともいわれる。武庫川は上流の杣山(そまやま)から木材を伐採して流すのに利用され,郡内にある広田神社は山手(入山料)と率分(そつぶん)(武庫川の関料)を徴収していたが,上流の開発が進むに従いこの徴収が困難となり,11世紀には神人(じにん)と近辺住人との間に相論が頻発している。一方,武庫泊の史料上の初見は,神功皇后が難波に向かったが船が進まず〈務古水門(むこのみなと)〉に戻ったという《日本書紀》の記載で,応神31年条には500艘の船を武庫水門に集めたともみえる。…

※「広田神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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