越水村(読み)こしみずむら

日本歴史地名大系 「越水村」の解説

越水村
こしみずむら

[現在地名]西宮市越水町・神垣町かみがきちよう城山しろやま桜谷町さくらだにちよう清水町しみずちよう若松町わかまつちよう南郷町なんごうちよう結善町けつぜんちよう北名次町きたなつぎちよう神原かんばら奥畑おくはた大社町たいしやちよう中屋町なかやちよう柳本町やなぎもとちよう室川町むろかわちようじよ堀町ぼりちよう愛宕山あたごやま能登町のとちよう新甲陽町しんこうようちよう越水字社家郷山こしみずあざしやけごうやま

西宮町の北に接する武庫むこ郡の村。中世には小清水と表記されることが多く、この地にあった湧水が地名の起源ともいう。ほかに腰水(永正十七年記)・古志水(永禄以来年代記)・越清水(応仁元年一〇月一〇日「大内政弘感状」三浦家文書)の表記もある。広田ひろたから南西方向に直進して打出うちで(現芦屋市)へと向かっていた旧山陽道に沿い、西宮という商業地に近接した戦略上の要地であったため度々合戦の舞台となった。「太平記」巻一五(大樹摂津国豊島河原合戦事)によると、建武三年(一三三六)二月、後醍醐天皇に反旗を翻し、いったん丹波方面に下って再度の上洛を目指した足利尊氏軍は打出で合戦するが、その直前に「小清水ノ辺」に向かっている。

越水村
こしみずむら

[現在地名]木造町越水

屏風山びようぶさん砂丘の東南部末端に位置する。北に駒田こまた村、田圃を隔てて東南に盛照せいしよう村、南に広岡ひろおか村があり、西は緩沢かんざわ溜池に接する。

天和三年(一六八三)の広須御新田所図に村名がみえる。貞享四年(一六八七)検地帳によれば、田畑屋敷合せて一一町七反四畝三歩、村高八六・三五七石とある。うち田方は一〇町一反九畝一四歩で八〇・七一六石、上田から下々田まで設定され、面積に大差はない。

越水村
うてみむら

[現在地名]加西市越水町

きた村の南、万願寺まんがんじ川上流左岸の沖積平地に位置する。加西郡地方では満水時の池の余水吐を「うてみ」と称し「越水」の字を当てている。文禄四年(一五九五)八月一七日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)に「うてミ村」七〇石とみえる。慶長国絵図にも「うてミ村」とある。領主変遷は延享四年(一七四七)三卿の田安領となるまでは市場いちば村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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