上久末村(読み)かみひさすえむら

日本歴史地名大系 「上久末村」の解説

上久末村
かみひさすえむら

[現在地名]三橋町久末

下久末村の東、沖端おきのはた川南岸にある。文禄四年(一五九五)の知行方目録に上久末村とあり、高一六八石余。慶長二年(一五九七)の柳川領村高附帳(立花家文書)では反別七一町二反余・分米七四八石余、村柄は中とある。元和七年(一六二一)の郡村帳では玄蕃高九五五石余・新田高二一石余、小物成は山手米二石余。万治三年(一六六〇)の忠茂公御代之分限帳(渡辺家史料)によれば俵太郎兵衛の知行地が当村にあった。文政七年(一八二四)五月久助が庄屋となり、同年八月同人から三柱みはしら宮に金一〇〇疋が寄進された。同一一年八月の大風の被害は倒家七軒(「本郷組覚書」瀬高町公民館保管)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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