上保谷村(読み)かみほうやむら

日本歴史地名大系 「上保谷村」の解説

上保谷村
かみほうやむら

[現在地名]西東京市保谷町一―六丁目・ひばりが丘北(ひばりがおかきた)一―四丁目・ひばりが丘(ひばりがおか)一丁目・住吉町(すみよしちよう)一―六丁目・泉町(いずみちよう)一―六丁目・中町(なかまち)一―六丁目・富士町(ふじまち)一―六丁目・東伏見(ひがしふしみ)一―六丁目・柳沢(やぎさわ)一―二丁目・同五―六丁目

現市域の東部、新座(にいくら)郡の南端に位置し、西は多摩郡田無(たなし)村、北は下保谷村、南は上保谷新田、東は豊島郡関(せき)村(現練馬区)。南部を青梅(おうめ)街道が東西に通る。元禄八年(一六九五)の上保谷村由緒年代記(保谷家文書)によれば、新倉(にいくら)(現埼玉県和光市)の住人板倉四郎左衛門のもと、保谷出雲守・下田若狭・岩崎内匠・中村雅楽・野口図書・桜井弾正の保谷六苗が永保元年(一〇八一)に穂屋神明社領を開発したと伝える。徳川家康の江戸入部以降の初代の江戸町奉行を勤めた板倉勝重が、新座郡上新倉村(現和光市)・小榑(こぐれ)村(現練馬区)に知行地を得た時に当地を開発した可能性も指摘されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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