下保谷村(読み)しもほうやむら

日本歴史地名大系 「下保谷村」の解説

下保谷村
しもほうやむら

[現在地名]西東京市下保谷一―五丁目・栄町さかえちよう一―三丁目・北町きたまち一―六丁目・東町ひがしちよう一―六丁目・泉町いずみちよう六丁目・住吉町すみよしちよう四―五丁目・ひばりが丘ひばりがおか一―四丁目・ひばりが丘北ひばりがおかきた二丁目・同四丁目

現市域北部、上保谷村の北に位置する。新座にいくら郡に属し、東は小榑こぐれ(現練馬区)、南は豊島せき(現練馬区)、西は上保谷村、北は野寺のでら(現埼玉県新座市)。北条氏所領役帳に江戸衆の太田大膳亮の知行分として「小榑保屋」がみえる。江戸時代の領主の変遷は上保谷村と同じ。寛永一六年(一六三九)八月の武州新座郡下保谷村彦七郎分御検地手帳(蓮見家文書)が伝わる。同帳から寛永一六年当時上保谷村と下保谷村がすでに存在していたことが知られる。この検地は多摩・新座・豊島の三郡に広がる野方のがた領の幕府領を対象に実施されたものと考えられるが、現市域にこの時の検地帳は現存していない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報