上君田村(読み)かみきみだむら

日本歴史地名大系 「上君田村」の解説

上君田村
かみきみだむら

[現在地名]高萩市上君田

大北おおきた川の支流宿しゆく川の源に位置し、南寄りは小盆地で、四囲多賀山地の高い山がめぐる。東は下君田村。古くは君田村一村であったが、寛永一八年(一六四一)に上下二村に分れたと考えられ(→下君田村、寛文三年(一六六三)開基帳(彰考館蔵)に「上君田村」とみえる。「松岡郡鑑」に寛政元年(一七八九)の人数三九九、馬三一、定猟師三、鳥銃一二とあり、中山家々士筆「松岡郡鑑」には文化元年(一八〇四)の家数一〇六・人数四〇五、馬五八、「公私書記」(渡辺家蔵)には安政三年(一八五六)の家数一〇三・人数三八八、馬四六とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android