古館跡(読み)ふるだてあと

日本歴史地名大系 「古館跡」の解説

古館跡
ふるだてあと

[現在地名]板柳町館野越

東を川が北流し、浪岡なみおか川と合流するところにある。

陸奥国津軽郡浪岡城北畠氏系図略(板柳町誌)によれば、永禄年間(一五五八―七〇)浪岡御所九代北畠具運の弟顕範が、俵升たわらます(現南津軽郡藤崎町)滝井たきい村の間に築城し、これを後世古館と称したという。天正六年(一五七八)浪岡城(現南津軽郡浪岡町)落城により子の顕忠は南部へ走り、慶長五年(一六〇〇)顕佐が姓を山崎と変えて住んだという。代々庄屋、寺子屋師匠、医者となり、明治一五年(一八八二)北畠に復姓した。明治初年の「新撰陸奥国誌」に「館野越村の中程にあり、東西三十間、南北二十六間、誰人の住せしにか詳ならす。


古館跡
ふるだてあと

[現在地名]昭和町豊川山田 坂の下

豊川山田とよかわやまだ東方、標高四〇メートルほどの舌状台地上にある。別名山田やまだ館・喜六きろく館ともいう。文化一二年(一八一五)の「秋田風土記」に「古城あり、昔山田喜六居之、秋田実季の家士なり」とあるが、天正一六年(一五八八)からの湊騒動で湊方にくみし落城したという。

「適産調」に「坂の下西手に大手の口あり、門の跡あり、今大戸の囲といふ是なり(中略)屋敷下に中丸といふ処あり、又大堤の西南にあたりて栩木沢に屋布館といふ台地あり、これ宮所なりしならん」と館の概況を記している。


古館跡
ふるだてあと

[現在地名]五戸町 古館

現五戸町の中心市街地の北東、五戸川右岸に臨む丘陵地末端に位置する。旧五戸中学校敷地。明治初年の第八大区一小区五戸町五戸村地誌(五戸町誌)に「五戸村字古館木村氏古館、天長年中木村又六居ルト云事跡未詳」とある。木村氏の居館跡とみられ、五戸月山八幡宮建立(五戸町誌)に慶長二年(一五九七)館番が置かれたとあるので、この頃には五戸館が完成し、当館は古館として廃棄されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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