上喜来村(読み)かみぎらいむら

日本歴史地名大系 「上喜来村」の解説

上喜来村
かみぎらいむら

[現在地名]市場町上喜来

市場町の北西方、尾開おばり村の西手に位置し、東を吉野川支流の日開谷ひがいだに川が南流する。四国霊場八十八ヵ所の切幡きりはた寺と同じく讃岐国大窪おおくぼ(現香川県長尾町)を結ぶ四国遍路道が通る。南方の下喜来(現阿波町)はかつて一ヵ村をなしていたが、分立したという。慶長二年(一五九七)の分限帳に「上寄来」とあり、高一七八石余が吉川豊右衛門の知行分。慶長年間のものと推定される国絵図に「上きらい」、寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では「上喜来村」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む