市場町(読み)イチバマチ

デジタル大辞泉 「市場町」の意味・読み・例文・類語

いちば‐まち【市場町】

市の立つ所に発達した市街。

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精選版 日本国語大辞典 「市場町」の意味・読み・例文・類語

いちば‐まち【市場町】

  1. 〘 名詞 〙 市の立つ所に発達した集落。四日市(よっかいち)五日市(いつかいち)など市の開設日を名とした所が多い。

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日本歴史地名大系 「市場町」の解説

市場町
いちばちよう

面積:七二・四六平方キロ

県北部、阿波郡の東部に位置する。讃岐山脈の南麓、東流する吉野川北部にあたる。西は阿波町、東は板野いたの土成どなり町、南は吉野川を挟んで麻植おえ鴨島かもじま町・川島かわしま町、北は讃岐山脈を間に香川県大川おおかわ白鳥しろとり町と接する。町域の西部を南流する日開谷ひがいだに川は香川県長尾ながお町の矢筈やはず(七八八・七メートル)麓に源を発して当町大影おおかげを経て伊笠いがさ(七〇四・八メートル)城王じようおう(六三〇メートル)の間を流下し、蛇行を繰返しながら大影谷おおかげだに川・仁賀木谷にがきだに(東谷)金清谷かねきよだに川などの支流を合せ、当町上喜来かみぎらいの辺りで急に川幅を広げつつ南流し、吉野川に合流する。北部は山地が連なるが、中央部以南はこの日開谷川や指谷さしだに川・かき木谷きだに川などにより複合扇状地を形成している。

日開谷川の河岸段丘にある上喜来蛭子かみぎらいえびす中佐古なかさこ遺跡は旧石器時代から室町期にわたる遺跡で、同流域の香美かがみ窯跡は平安期に須恵器を産した跡であることが知られている。


市場町
いちばまち

[現在地名]市場町市場

現市場町域の南部に位置し、西を吉野川支流の日開谷ひがいだに川が南流する。阿波郡域の中央部南側にあり、南の香美かがみ村との境を撫養むや街道が通る。街道筋の南側に一里松があり、これより分岐する北路は日開谷川筋で讃岐国に通じ、また南に向かうと吉野川の渡しに至る(天明三年「阿波郡絵図」大塚家蔵)。古くは古市ふるいちと称し、尾開おばり村に属し(阿波志)、尾開の八坂神社の鳥居前市でもあったという(阿波郡誌)。慶長七年(一六〇二)の香美村検地帳に「古市村」と記されるというが、確認できない。同九年正月八日の荒地開墾制札(市場町立歴史民俗資料館蔵)に「市場村荒地」とみえ、隣郷の役はずれの百姓や流浪人が入って開拓することを奨励、一年目は年貢を免じられ、その翌年からいささかの「上分」を納めることとされている。同一〇年には「市場町」で三日市を立て、よろず売買が認められているが、酒の売買は町の内でのみ行い、他郷での売買を禁じている。また自国他国によらず当処に来る者は諸役を免じることが認められている(同年二月二日「諸役其外免許制札」同館蔵)。元和五年(一六一九)の検地帳(市場町史)に「古市村」とみえ、高五四石余(ほか上毛高一石余)、田地はなく、畠三二町四反余・分米五六石余で、うち一石七斗六升九合は中桑六三本(一本につき三合)・中下柿四二本(一本につき三升七合六勺)。またこのときの検地帳奥書による家数は一九軒で、内訳は阿波国の者が三軒、讃岐の者七軒、土佐の者二軒、紀伊・伊予・播磨の者各一軒、渭津いのつ(徳島城下)の者三軒などであったという(「市場町日記」市場町史)


市場町
いちばまち

[現在地名]熱田区市場町

八剣はつけん宮前から源太夫げんだゆう(上知我麻神社)前まで八七間。もとはその東の布瀑女そぶくめと一体であったが、のち分れた。その年代は不詳(徇行記)。明治四年(一八七一)再び布瀑女を合した。


市場町
いちんばまち

[現在地名]相良町相良

しん町の北東に位置する。相良町三町の一で、相良城の築城後は相良城下四町の一となる。慶長一〇年(一六〇五)前浜まえばま町とともに町割され、両町合せて二四軒の町並であった(編年相良町史)。延享四年(一七四七)の家数三一・人数一四六(樋田家文書)、天保一二年(一八四一)の家数二八(城下町相良区史)。享保一三年(一七二八)相良藩主本多忠如は当町金左衛門屋敷に御仮屋の造営を図り、翌一四年に完成した(寺尾家文書)


市場町
いちばまち

[現在地名]水口町鹿深ろくしん本町ほんまち三丁目

天王てんのう町の南東、石橋いしばしから三筋に分れた往還のうち南裏通を挟んだ両側町。北は米屋こめや町に接し、南は畑地。通りの南側西半は幕府領時代水口代官所が置かれ、水口藩政下には町奉行所が置かれた。またこの南側には御茶壺道中にかかわる施設があり、御壺屋敷と称した。

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改訂新版 世界大百科事典 「市場町」の意味・わかりやすい解説

市場町 (いちばまち)

市場の存在が成立の基礎となって形成された集落。市場集落ともいう。物資交換の場としての〈市(いち)〉の形成と発展は別項〈〉に見るとおりであるが,〈〉の位置が定まり,定期に開催するための設備も整えられると,その場所が〈〉〈市庭(いちば)〉〈市場〉と呼ばれた。市場は物資交換流通の場であるから,交通要衝の地が重要な立地的要因となる。したがって河川の沿岸,合流点,あるいは河口などに立地するのは当然のことである。それに加えて,地域的特産物の生産が盛んになると,その交換要望が高くなり,海浜地帯と農業地帯,農業地帯と山地との接触地点に市場が開催され,海産物農産物の交換の場は河口,潟湖の湖口,港湾の湾口や湾奥に,農産物と林産物の交換の場は谷口付近に選定される場合が多い。後者の場合,山方諸村と里方諸村の接触地点に市が立地することになる(谷口集落)。そのようにして形成された市場の相互関係は,まず交換流通量の大なる市が核心的存在となり,その周辺に圏構造を構成する。もちろん,その地域の生産量や地形的環境により圏構造の規模は異なる。市場の存在が基礎となって集落が形成され,さらに市場が常設され,これが核となって集落が拡大発展する。かかる市場町は全国的に分布する。集落内の市場開催地は,社寺境内か門前が多い。中世の荘園領主の居館集落は,それ自体が荘園生産物の集散地でもあり,地方的商業町形成の可能性を含んでいる。また在地豪族の居館柵館集落においては,戦国時代に定期市が核となって街区を構成したものも多い。ヨーロッパの場合も中世以降,リヨンケルンなどでは都市成立の決定要因が市場であったことも注意すべきである。市場商業活動の最盛期は中世であるが,近世になると,関東,東北,北陸では多くの市場町が整備され活発化する。しかし畿内においては室町時代から店舗商業へと移行し,市場商業は衰退傾向にある。市場町が発展すると,周辺農村への影響だけではなく,地方の中心都市の培養にも役立つ。

 今日,市場が存在したことを物語る地名は全国的に分布する。その関連地名を概略的に分類すると,まず〈市〉〈市場〉そのものの地名,市日を示す一日市,二日市,五日市などの地名,同じく二日町,三日町並びに三日市場,十日市場などの地名もある。なお過去の市場の存在を物語る古市,本市,古市場や新市,今市などがあり,また市場が所在した場所を表す北市,南市,東市場,津市場,丹波市,国市場など,さらにその地形的環境を表す地名,浜之市,河原市野々市,山市場,峠(たお)市などもみられる。
 →市町 →在郷町
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「市場町」の意味・わかりやすい解説

市場町
いちばまち

物資を交換取引する市場を中心に発達した町場集落をいう。古代には、物資の流通はほとんど市場によったので、大小の市場が諸地域に発達し、市場町は政治都市、港町とともに市街地の祖型をなした。そして、市場経済の最盛期であった中世はまた市場町分布の最濃密期であった。近世に入って物資の流通が店舗商業に転換すると市場町は減少した。現在では巨視的にはアフリカ、中近東、東南アジア、メラネシア、新大陸などのうちの発展途上地域にみられるにすぎない。それらの諸地方でも市場町の立地地区は、異民族居住の境界地区、また同一民族の居住地域でも地形や生産条件を異にする場合は、これらの境界地区に多くみられ、なかでも交通の便のよい所(渡河点、橋頭、港など)に多い。

 現在、世界的に有名な市場町としては、フランスのリヨン、ドイツのフランクフルト・アム・マイン、ケルン、ベルギーブリュージュ、ロシアのニジニー・ノブゴロド、韓国の大邱(たいきゅう/テグ)、中国の張家口(ちょうかこう/チャンチヤコウ)などがあげられる。また、大都市の市街地中にも市場町に始まる広場や街路があり、いまも盛んに市(いち)が立つ地区もある。ヨーロッパのローマンタウン起源の現代都市には、そうした市域内市場町が例外なくみられる。また、日本の現代市町村名には「市」がつけられているものが少なくないが、それらの多くは古代、中世、近世の市場町起源のものである。たとえば、一日市(ひといち)、二日(ふつか)市~八日市、廿日(はつか)市(あるいは町)、古市、今市、宮市、上市、下市などのごときである。現在、市場が流通の中心をなす所は少ないが、東北地方や日本海沿岸地域(新潟など)の一部では、いまも定期市がみられ、人々が集る所がある。

[浅香幸雄]

『中島義一著『市場集落』(1964・古今書院)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市場町」の意味・わかりやすい解説

市場町
いちばまち
market town

物資の交換取引のための市を中心に発達した町。ヨーロッパや中国では,早くから市場が発達したが,特にヨーロッパでは中世以降,市場を母体とした地方中心集落が発達した。フランスのリヨン,ドイツのケルンやフランクフルトアムマインなどがその例である。アジアでは中国の張家口,韓国の大邱などが有名。日本でも交通上の要地や社寺の門前,さらに谷口集落などに市場町が成立した。今市,古市,二日市,三日市,四日市,五日市,六日市,七日市,八日市 (八日市場) ,十日市,廿日市などは市場町として発達したところである。市場町では広場などの特定の場所が定められ,商人の同業組合「市座」が組織されていた。また各地の特産物の取引を主とした絹市,馬市,炭市などもあって,その商圏はかなり広いものであった。

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百科事典マイペディア 「市場町」の意味・わかりやすい解説

市場町【いちばまち】

起源を定期的市(いち)にもつ都市。たとえば二日市,四日市など。ヨーロッパでは交通要地の国際的市により発達。→(いち)
→関連項目都市

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旺文社日本史事典 三訂版 「市場町」の解説

市場町
いちばまち

中世,市 (いち) から発達した都市
市は鎌倉時代から交通の要地や荘園領主・代官の居住地で定期的に開かれ,出入の人びとや市座商人の定着化などによって市場付近はしだいに町となった。商業の発達につれて16世紀ころ多く発生した。四日市・五日市・八日市は市日を町名としたもの。

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