上宮原名・下宮原名(読み)かみみやばるみよう・しもみやばるみよう

日本歴史地名大系 「上宮原名・下宮原名」の解説

上宮原名・下宮原名
かみみやばるみよう・しもみやばるみよう

[現在地名]加津佐町上宮原名・下宮原名

加津佐村の北部、水下津すいげつ名の北に位置する。上宮原名は内野うちの立木たちき山中やまなかなどに分れ、伊場いばに薬師堂、崎谷さきたに寺屋敷てらやしきなどがある。下宮原名は町原まちばる道原どうばる樫山かしやまなどに分れ、千壇せんだん川付近の斜面栴檀せんだん貝塚がある。正平一六年(一三六一)一一月二日の有馬直澄売券案(広福寺文書)に「堂原」(道原であろう)とみえ、直澄は重代相伝の私領である高来たかく賀津佐かづさ村の田地一町と、堂原の屋敷一所三反を直銭四〇貫文で禅古に売っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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