日本歴史地名大系 「加津佐町」の解説 加津佐町かづさまち 長崎県:南高来郡加津佐町面積:二四・三七平方キロ島原半島の南西部に位置し、北部は南串山(みなみくしやま)町、南東部は口之津(くちのつ)町、東部は南有馬(みなみありま)町に接する。町域の南東部に鳳上(ほうじよう)岳(四〇九・七メートル)、その南西に愛宕(あたご)山(二九一・四メートル)があり、これら雲仙(うんぜん)山系の山嶺から丘陵地が海岸部まで続いている。河川に津波見(つばみ)川・小松(こまつ)川・堀(ほり)川などがあり、野田(のだ)浜などの広がる天草(あまくさ)灘に注ぐ。海岸部を島原鉄道と国道二五一号が通るほか、県道の口之津―雲仙線・加津佐停車場線・山口(やまぐち)―南有馬線などがある。海岸部などは島原半島県立公園の指定域内。南部の水下津名(すいげつみよう)にある永瀬(ながせ)貝塚は縄文時代中期から弥生時代後期にわたる遺跡で、下宮原名(しもみやばらみよう)に弥生時代後期の内野(うちの)貝塚・栴檀(せんだん)貝塚がある。律令制下では高来(たかく)郡に属していたが、町域に「和名抄」に記される高来郡内のいずれの郷が置かれていたかは明らかではない。中世は高来東(たかくとう)郷のうちとして加津佐村がみえ、年貢をめぐって惣地頭の越中氏と小地頭の内島氏・安富氏が相論になっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by