日本歴史地名大系 「加津佐村」の解説
加津佐村
かづさむら
現加津佐町域のすべてを村域とし、近世は五ヵ村(または五ヵ名)からなっていた。江戸時代は島原藩領の西目筋に属する。慶長国絵図に「加津佐」とみえ、高二千七〇〇石余。慶長一九年(一六一四)有馬晴信の子の直純が日向
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現加津佐町域のすべてを村域とし、近世は五ヵ村(または五ヵ名)からなっていた。江戸時代は島原藩領の西目筋に属する。慶長国絵図に「加津佐」とみえ、高二千七〇〇石余。慶長一九年(一六一四)有馬晴信の子の直純が日向
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