日本歴史地名大系 「上小泉村・下小泉村」の解説
上小泉村・下小泉村
かみこいずみむら・しもこいずみむら
江戸時代初期の上山藩領小泉村から、寛永五年(一六二八)高七八〇石余が幕府領小泉村となり(最上記)、残余が上山藩領上小泉村・下小泉村となった(ただし幕府へ提出した郷帳では小泉村一村)。この両村は元禄五年(一六九二)五月から同九月まで一時期幕府領になるが、上山藩領に戻り、文化一三年(一八一六)以降はともに幕府領として幕末に至る。寛永一三年の上小泉村の高五八七石余、下小泉村の高六三八石余。元禄五年の村明細帳(渡辺文書)は上山藩領小泉村(上・下二村)のもので、高一千二二六石余、反別田六二町余・畑三町六反余・屋敷三町五反余、ほかに新田一八四石余、反別田七町四反余・畑一町一反余、家数八七、うち百姓五六・水呑二二など、人数四一七。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報