上小泉村(読み)かみこいずみむら

日本歴史地名大系 「上小泉村」の解説

上小泉村
かみこいずみむら

[現在地名]大泉町上小泉

東は篠塚しのづか村・石打いしうち(現邑楽町)、西は新田につた東別所ひがしべつしよ(現太田市)坂田さかた村、南は下小泉村、北は新田郡うちしま村・山田郡竜舞りゆうまい村・八重笠やえがさ(現太田市)に接する。南端を新田郡尾島おじま(現尾島町)館林を結ぶ道が東西に、中央を足利あしかが(現栃木県足利市)赤岩あかいわ(現千代田町)を結ぶ道が南北に通る。斉衡二年(八五五)小泉村と称し、のち分れて築肥地ついじ村・小泉村の二村となるが、天正年間(一五七三―九二)築肥地村は兵火のため無民家となり、同一八年築肥地を併せて小泉村一村とするという(邑楽郡町村誌材料)。またこの年小泉村を分けて二村となすが(「小泉城記抜書」茂木文書)、単に小泉村とも称したという。

近世は初め館林藩領。寛永一二年(一六三五)田方検地、同一九年に畠方検地が行われた。


上小泉村
かみこいずみむら

[現在地名]滑川市上小泉

早月はやつき川が形成した新扇状地の末端部に位置し、北西は下小泉村、南西沖田新おきだしん村。古代末期から中世堀江ほりえ庄三ヵ村のうちの小泉村に含まれていたと考えられ、康治元年(一一四二)一〇月日の宮道季式寄進状(祇園社記)新川にいかわ郡内の「小泉村」がみえる。正保郷帳に上小泉村とみえ、高九四九石余、田方六二町七反余・畑方五反余、新田高三二四石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高一千二九二石、免四ツ、明暦二年(一六五六)の新田高一二石、小物成は鮭川役一匁(出来)であったが、村御印本紙は村肝煎宅の火事で焼失している(三箇国高物成帳)。所属組は上島かみじま村と同じ。享保一八年(一七三三)新川郡村廻帳(川合家文書)では村肝煎は与左衛門と太左衛門、家数三九はすべて百姓。


上小泉村
かみこいずみむら

[現在地名]富士宮市小泉

下小泉村の北、阿幸地あこうじ村の東、富士山南西麓末端部の丘陵に立地し、地内を浸食して滝沢たきさわ川・大沢おおさわ川が南西流し弓沢ゆみざわ川に合流する。むろ神祖かんぞ欠畑かけばた(闕畑)の字地名があった(駿河志料)。寛永改高附帳に上小泉村とみえ、田方一七四石余・畑方七九石余、ほかに下小泉の久遠くおん寺領四〇石がある。元禄郷帳では高三一九石余。国立史料館本元禄郷帳によれば甲斐甲府藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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